高須城と城下町

高須城と城下町([高須城  碑・説明板])

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高須城と城下町の口コミ情報

2026年05月17日 猫耳尾張守メイド萌


高須城は、大永二年(1522)に大橋源左衛門重一が築城したと伝えられている。その後、城主が幾人も変わったが、慶長五年(1600)の関ヶ原の戦い以後の城主は、次のとおりである。
徳永氏  1600〜1628 五万三千余石
小笠原氏 1640〜1691 二万二千余石
松平氏  1700〜1869 三万石
松平氏は、尾張藩二代藩主 徳川光友の子 松平義行を祖として明治まで続いた。尾張藩の支藩として、この辺りの一万五千石のほか信濃国伊奈郡に一万五千石を領地していた。
松平氏の居館は、この地にある西大江川のほとりにあった。すべての道は、内部を見通せないようにかきの手になっていた。城下町は城の南に広がり、現在の海津明誠高校の辺りや市立高須小学校の辺りに、諸役所や武家屋敷が並んでいた。町家は武家屋敷の東の一段と高い自然堤防の上に軒を連ねていた。
(高須藩松平三万石顕彰会)

主水橋
高須城は、堀を三重に構え、それぞれの堀には橋が架けられていました。それらの橋の内側には、城内が見通せないように鈎の手に土塁が築かれていました。
この橋は、徳永法印寿昌の家老の一人、稲葉主水の屋敷が橋のほとりにあったので「主水橋」と呼ばれてきました。かつては板の橋であり、北側には土塁があり、番所が建てられていました。
※土塁とは、土を盛り上げて築いた小さなとりでのこと。
岐阜県 西濃地域大垣農山村整備事務所
説明板(二枚)より。

片方の看板の劣化が激しく、そろそろ判別が出来なくなりそう。

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