今尾城

今尾城([高須城  周辺城郭])

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今尾城の口コミ情報

2021年08月21日 ▷☽◁猫耳萌え▷☾◁


今尾城と竹腰氏
今尾城のはじまりは、文明年間(1469〜1487)と言われ、中島氏、高木氏らを経て、天正十五(1587)年に市橋下総守長勝が入城しました。
関ヶ原の合戦後、一時的に幕府が支配しましたが、元和五(1619)年、尾張藩祖 徳川義直の異父兄にあたる同藩付家老 竹腰山城守正信の居城となり、明治維新までつづきました。
『濃州安八郡今尾村絵図』によると幅の広い濠を三重にめぐらし、西側には、土塁(堤防)が築かれています。その内側に「御城屋敷」「書院屋敷」「役屋敷」が設けられましたが、天守などは無く、今尾陣屋とも呼ばれました。
今尾小学校を中心とする周辺一帯がその遺跡とされ、周囲の水路なとにその名残りを感じる事が出来ます。また西願寺(東本町)の山門は今尾城の門の一つを移築したものといわれ、海津市の文化財に指定されています。
江戸時代の今尾城主 竹腰氏は、犬山城主 成瀬氏とならぶ尾張藩の重臣でした。所領は美濃国と尾張国のうちで合計三万石を与えられ、江戸と尾張を行き来して代々の尾張藩主を補佐しました。幕末期、尾張藩内が佐幕と尊王に揺れた際、九代 竹腰正富(正美)は佐幕派を支持して、一時失脚しました。
慶応四(1868)年、同じく徳川御三家の付家老であった成瀬氏(尾張)・中山氏(水戸)・安藤氏(紀伊)・水野氏(紀伊)とともに、明治新政府に働きかけ、立藩を許されました。
今尾藩はわずか三年足らずで廃藩を迎え、敷地と建物の一部は今尾小学校に払い下げられて、現在に至ります。
  高須藩松平三万石顕彰会 説明板より

小学校周辺は、少し高くなっています、この辺りがやっぱり主郭跡で、説明板後ろの、盛土が土塁跡に見えなくもないかな。

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