駒野城
駒野城([高須城 周辺城郭])
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駒野城の口コミ情報
2021年09月02日 前田利家猫耳メイド萌
駒野城 海津市指定史跡
正暦年間(990〜994)船岡山と称されていた。
この小丘に初めて城を構えたのは、瀬戸道明寺であったと伝えられる。文治・建久年間には、守護職 土岐氏が城を築き守将を置いた。
承久年間 伊藤裕朝が守将となり、十二代 裕長に至り、天文十六年滅亡した。その後は、斎藤道三の客分 高木彦左衛門が居城していた。
織田信長が領国巡視を行った時、駒野城に入ったとも言う。信長没後、信雄方についた駒野城の高木貞利と、その一族は天正十二年(1584)秀吉方の筒井順慶らと戦って、これを退却させた。
その後、秀吉の天下となった為、高木氏は開城し一族は離散した。慶長五年(1600)石田三成が、南濃を巡察した時、桑名から大垣への守りの為に、塁壁を構えさせたと云われる。
関ヶ原戦後、駒野城は廃城となり、高須藩 松平氏の所領となったが、明治三十五年 城山小学校校地として寄付された。
説明板より
海津市のHPには、本丸曲輪とそれを取り巻く土塁、ニの曲輪の一部が確認出来るとありますが、小学校の敷地の為、校門の少し奥に設置された説明板を確認して、撤収しました。