正法寺跡
正法寺跡([川手城 寺社・史跡])
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正法寺跡の口コミ情報
2025年09月21日 猫耳和装メイド萌え
岐阜県史跡 正法寺跡
霊薬山正法寺は、文和年中(十四世紀中頃)の創建で、境内には多数の塔頭があり、荘厳な伽藍を誇っていたようです。正法寺の範囲については、『厚見村大字下川手略図』の推定地の中心部分に楕円形の通路のようなものが記されており、ここが伽藍の中心であった可能性があります。
十五世紀中葉以降、正法寺周辺に守護館(革手城)、守護代館(加納城)等が築かれ、一帯が守護所として整備されました。周辺の発掘調査では十五世紀の溝や遺物が見つかっています。
応仁・文明の乱(1467〜1476)により京都が荒廃すると、先関白太政大臣一条兼良をはじめ、多くの公家が革手を訪れ、一大文化圏が形成されました。
明応四年(1495)に守護の跡目争いに端を発した船田の乱がおこり、この地は戦場となりました。永正六年(1509)頃、守護所が長良川北岸へと移転したことにより、正法寺は荒廃していきました。
令和四年三月 岐阜市
正法寺跡の説明板の位置図(推定)には、正法寺跡の南側に川手城跡が描かれています。
ウィキペディアには、美濃国守護、土岐頼康が文和二年(1353年)に川手城を築城した際に、川手城の敷地ないし、その隣接地に建立した。との記載があるので、川手城跡の石碑が建っている土塁は、正法寺の土塁もしくは川手城の北端に位置する土塁と思われます。
2022年03月12日 とんかつおやじND
正法寺(しょうぼうじ)は岐阜県岐阜市薬師町にあった薬師如来を本尊とする臨済宗の寺院で、山号は霊薬山と称した。川手城の敷地ないし隣接地にあったとされ、船田合戦を経て廃寺となった。現在その跡は正法寺跡として岐阜市により史跡に指定されている。なお、岐阜市黒田(正法寺)及び岐阜市大仏町(正法寺)、岐阜市向加野にある正法寺はここで述べる霊薬山正法寺とは縁起の異なる別の寺院である。
美濃国守護、土岐頼康が文和2年(1353年)に川手城を築城した際に無本覚心(法灯禅師、法灯派の祖)の法嗣、嫩桂正栄を招いてその隣接地に建立した。









