説明板
説明板([加納城 碑・説明板])
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説明板の口コミ情報
2022年08月11日 前田利家猫耳メイド萌
加納城は徳川家康が、慶長5(1600)年の関ヶ原合戦の直後、築城を命じた城です。北から南へ5つの曲輪(三の丸、厩曲輪、二の丸、本丸、大藪曲輪)があり、それらは堀と川に囲まれ、「水に浮かぶ城」という景観でした。また、石垣などは関ヶ原合戦で落城した、岐阜城から運んだと伝えられています。
初代城主は徳川家康の長女「亀姫」の婿、奥平信昌で10万石が与えられ、それ以降、代々の城主は譜代大名が勤めました。明治維新の後、建物はすべて取り壊されてしまい、堀も埋められ、今では本丸の石垣と土塁、二の丸や三の丸の北側石垣や、三の丸北東部分に当時を偲ぶことができます。
今、あなたが立っている所は、本丸の北門にあたります。本来の本丸の出入り口である、大手口は東側凸字形に出っ張った部分にありました。これは「外枡形」という、徳川氏が初期に作った城の特徴といわれる形です。
説明板より一部抜粋。
説明板にある、推定復元図から北門(埋門)には内枡形があり、石垣の上には多聞櫓があったと推定されています。現在のように土橋は無く、門の外側は堀に面していたようで、此処から兵糧などを川から運び込んだのかなと思います。