寺本城

寺本城([吉川城  周辺城郭])

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寺本城の口コミ情報

2021年03月21日 国府左京大夫城介


村木砦の戦いで城下を焼かれた花井氏の居城

【歴史】
築城年は不明だが、城内にある津島神社の嘉吉3年(1443)に花井信忠が建立したとされるので、室町中期には築城されたと推測できる。
築城者は、花井氏。
今川義元が尾張に勢力を伸ばしてくると、花井氏は人質を今川氏に出し、那古野城と緒川城の連携を遮断する役目を担っていました。天文23年(1554)に、織田信長が村木砦を落とすと、その翌日に寺本城に兵を派遣し、城下を放火した。その後、花井氏は織田信長の軍門に下り、佐治氏と共に知多水軍として、各地を転戦しています。関ケ原の戦いでは、東軍に属すが、西軍の九鬼水軍に攻められ落城した。

別名:堀之内城、青鱗城

【遺構】
知多市堀之内地内にある比高20mの丘(天王山)に築かれている。
主郭である頂上部に津島神社があり、平坦な三角形状の削平地が広がっており、その北側に10mほど下ったところに、細長い腰曲輪がある。

【感想】
堀之内集落の中にあり、特に説明板もないため、どこが入口か分からず、ぐるっと一周してしまった。とは言っても一周10分程度なので、それほど大きくなく地方の豪族の居城らしいと感じました。
さて、この城に登ってみると、全く堀というものがなく、あくまでも地形の峻嶮さを頼りにしている城です。南側はほぼ崖、北側には腰曲輪があるが、そこも高低差があり、容易に登れません。だからこそ、村木砦の戦いの後、信長が無理に城を攻めるのではなく、城下を焼き払ったというのも納得することができます。
北側の曲輪に降りる方法ですが、津島神社の裏手がやや緩やかな地形になっており、そこからならば楽に下りれます。自分はそこに気づかず、主郭の中央部あたりから、木にしがみつきながら下りていきました。

【アクセス】
名鉄常滑線・寺本駅から徒歩10分。
登城口は西側からしかなく、堀之内公会堂を目標にすると分かりやすい。
なお、堀之内集落は道が狭く、駐車するスペースはない。

【写真】
1:登城口
2:堀之内の地名
3:津島神社
4:主郭
5:主郭から腰曲輪を望む
6:腰曲輪

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