南外山城
南外山城([溝口城 周辺城郭])
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南外山城の口コミ情報
2025年02月01日 猫耳◇□◁△▷▽⊿萌
南外山八幡社 御由緒
八幡社の創建は古く、執権 北条高時の文保二年(1318)と伝えられる。また、日蓮宗の僧 日澄が隣の妙楽寺を創建するとき、寺の鎮守として嘉暦元年(1326)日澄自らが、八幡大菩薩を刻み、法華八幡宮の扁額を書いて、古城(南外山城)跡に社を勧進したとも伝わっている。
拝殿の東側の土手は南外山城の土塁の名残りといわれ、その土手上に南外山城跡の碑が建っている。
明治二十四年(1891)濃尾地震により社殿が倒壊したが、翌年復興した。
昭和十八年(1943)社殿を改修した。
南外山城は、堀尾孫助の居城で、正中年間(1324〜1325)には、すでに廃城となっていたと伝わる。
愛知県で堀尾氏と言えば、堀尾吉晴(茂助)の生誕地とされる、御供所城(堀尾屋敷)は堀尾家累代の邸宅跡とされ、鎌倉時代の終わり頃に御供所村(愛知県大口町)に移り住んだとされる。
応永年間(1394〜1427)に、御供所城(堀尾屋敷)を築いて居城としている、堀尾氏と南外山城の堀尾氏は同一の一族だろうか?
謎のまま終わる……。
南外山八幡社参拝者用の駐車場有り。
2021年09月25日 猫耳◇□◁△▷▽⊿萌
南外山城跡
南外山城は、堀尾孫助の居城で、この八幡社を含む範囲にあったが、正中年間(1324〜1325)にはすでに廃城となっていた城と伝わる。その規模、構造などについては伝わっておらず不明であったが、近年、この周辺で行われた区画整理事業に伴う発掘調査により、除々に明らかになってきている。
調査では、城の北辺、南辺、西辺にあたる堀が部分的ではあるが確認されている、堀は幅4㍍程で、その内側では、敷地を区画する溝、掘立柱建物を構成していたとみられる多くの柱穴、井戸などが見つかっている。また、山茶碗、すり鉢、壷などの陶器、素焼きの皿や鍋、漆椀、木製の下駄など城があった当時に使われていた生活品が出土している。
説明板より
八幡社の参道途中に説明板と城址碑があります。
発掘調査後は、遺構は埋め戻され、地中保存されていると思われるが…、消滅してしまったかは不明です。堀跡や、井戸跡が検出された箇所には、説明板等を設置して欲しかったです。