法信寺

法信寺([野府城  寺社・史跡])

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法信寺の口コミ情報

2024年05月23日 前田利家猫耳メイド萌


法信寺本堂の越屋根部分は、鎖を引っ張るとせり上がる絡繰があり、有事の際は見張り小屋として、利用されたと云う伝承が伝わっています。
現在の本堂は、外観復元として屋根に鎖が取り付けられています。

法信寺の立地は、北側から北西側にかけて木曽川の河岸段丘があり、山門が道路よりかなり奥にあり、両側に元は土塁だったかも(現在は石とコンクリートで固められている)があり、防御力高めです。

梵鐘のいわれ
この梵鐘は、享保二年(1717年)法信寺 第十六代住職、俊了の時代に造られた。当地方は、綿、絹織物の産地であり、サシ・マス・ハカリ・そろばん等のおかげで利益を得ている商工業者が多かった。その恩恵を、鐘の音で思い出すように、梵鐘にこれらの絵を描き、三打で利益の上に利益を産む事を願った。鐘に升の絵が描かれているので、「金の増す鐘」として尊ばれている。
第二次世界大戦中の、金属類供出の難の時には、県内においても他に類例のない珍しい梵鐘である為に、供出をまぬがれたので、「厄よけの鐘」とも云われている。昔、檀徒に、浅井浄玄という算数の大家がいて、多くの子弟を輩出した事から、「学業成就の鐘」とも云われている。毎年、春の「お中日様」の日と、十二月三十一日の除夜の鐘の日には、鐘をつくため、多くの方々の参詣が続いている。

享保二年で第十六代住職なので、かなり古くからある古刹と思われます。
詳しくは不明だが、もしかすると尾張織田家が、美濃斎藤家の見張り所兼、有事の際の砦としての役割があったのかもしれない。

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