宮河戸跡・福島正則駒繋ぎ址(大明神社)
宮河戸跡・福島正則駒繋ぎ址(大明神社)([野府城 寺社・史跡])
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宮河戸跡・福島正則駒繋ぎ址(大明神社)の口コミ情報
2022年06月21日 前田利家猫耳メイド萌
愛知県指定文化財
史跡 起渡船場跡〜宮河戸跡〜
起渡船場には、上・中・下の三ヶ所の渡し場があった。大明神社の西にある木曽川を「宮河戸」、俗に「八百清河戸」と称した。もとは、御手洗場でもあったが、船荷の揚げ下ろしがされていた。
対岸の渡船場は、美濃国中島郡新井村(現岐阜県羽島市正木町新井)の燈明河戸と呼ばれていた。
宮河戸は、大藩の木曽川渡船など、金刀比羅社のある定渡船場(「上の渡し」)だけでは、渡船が困難な時に使用された。たとえば、文久元年(1861)の皇女 和宮の下向は当初、美濃路の通行が計画されており、その時この宮河戸の使用も計画された。
一宮市教育委員会 説明板より
福島正則駒繋ぎ址 石碑碑文
慶長五年(1600)八月、関ヶ原の役に、東軍の先鋒 福島正則の兵一萬六千七百人が、同月□日、美濃の竹ヶ鼻 岐阜を攻めんとして、当□に集結した時に、正則 この地の杉の大樹に駒を繋いで形勢を按じたと傳えられる。
石碑碑文より □部分は判別不能。
石碑は、大福稲荷社の連鳥居の途中にあります。
大明神社由緒
この神社は、旧中山道 垂井宿から、東海道 熱田宿に至る「美濃路」の尾張の最初の宿場であった「起宿」にある。
社伝によると、創建は明らかではないが、室町時代初期の尾張国守護・斯波義重が社殿を造営され、四代尾張藩主・徳川吉通が社殿を寄進したとされる。
大明神社の境内の説明板より一部抜粋。
尾張藩主 徳川吉通が神社の参拝された時、金子が下賜され、それを記念して石灯籠が建てられた。(石碑の写真は撮ったが、石灯籠は忘れた。)
参拝者用駐車場あり
愛知県指定 天然記念物の大いちょう、やまがきなどがあります。