起宿本陣・問屋場跡 国学者 加藤磯足邸趾
起宿本陣・問屋場跡 国学者 加藤磯足邸趾([野府城 碑・説明板])
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起宿本陣・問屋場跡 国学者 加藤磯足邸趾の口コミ情報
2022年01月20日 前田利家猫耳メイド萌
本陣とは、大名・公家といった、高貴な人々の休泊施設である。
五街道や、その付属街道の宿場に置かれ、美濃路の起宿には、一軒置かれていた。起宿の本陣職は、加藤家が代々「右衛門七」を名乗り、幕末まで世襲した。天明五年(1785)の書上げによれば「間口二十四間半・奥行五十四間・家造建坪二百六坪・外二高塀五十八間・門三箇所」とある。本陣は起宿の運営の中心機能としての役割を持っていた。
江戸時代を通じて、宿泊した藩としては、紀州 徳川家、広島藩 浅野家、徳島藩 蜂須賀家、熊本藩 細川家といった大藩も多い。江戸時代中期からは、朝鮮通信使の昼食の場ともなった。問屋場は人馬や荷物の継立てなどを行う場所で、これも加藤家が兼務していた。その後、永田家も問屋場として増設されている。
また、江戸時代中期の十一代当主の加藤磯足は、本陣職を務める傍らで、木曽川堤の自普請や村政にも力を尽くし、国学者 本居宣長の高弟として学問にも熱心で、尾張を代表する文化人でもあった。
現在、跡地には本陣の遺構は無く、石碑と説明板があるのみです。