聖徳寺
聖徳寺([野府城 寺社・史跡])
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聖徳寺の口コミ情報
2021年05月22日 前田利家猫耳メイド萌
史跡 聖徳寺跡
聖徳寺は、はじめ尾張国葉栗郡(のち美濃国羽栗郡)大浦郷(岐阜県羽島市)にあり、洪水や戦火で移転を繰り返したといいます。
寺伝等によると、のち尾張国中島郡苅安賀(一宮市)へ、再び大浦へ戻り、その後ここ中島郡冨田へ移りました。
聖徳寺は、戦国時代の永正年間(1504〜1521)に、この地に移ったといい、天文年間(1523〜1555、天文18年と21年と22年の3説)に尾張の織田信長と美濃の斎藤道三が会見した寺として知られています。
道三は、信長に娘の帰蝶(濃姫)を嫁がせており、信長が「大うつけ」かを確かめる為に会見を申し入れました。
信長は噂通りのうつけ者の姿で聖徳寺に現れましたが、正装に改めて会見に臨みました。道三はこの会見で信長の力量を知り、二人の同盟は確かなものになりました。信長にとって、歴史の表舞台へ出るきっかけとなった、大きな出来事だったといえます。
また、後年には豊臣秀吉の加賀野井城や竹鼻城攻めの本陣にもなりました。その後、美濃国羽栗郡三屋(岐阜県笠松町)、尾張国春日井郡清須(清須市)を転々とし、さらに名古屋の東寺町(のち東門前町)から松本町(のち富沢町中区錦)へと移転し、現在は守山区白山の七宝山聖徳寺と天白区八事山の八事山聖徳寺の2か所に分かれています。
石碑以前は、反対車線のもう少し南側にあったきがしますが…。