馬寄城

馬寄城([野府城  周辺城郭])

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馬寄城の口コミ情報

2021年06月13日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁


築城時期は不明。
城主は武藤弥平兵衛で天正3年(1575年)信長によって、越前国敦賀郡を賜り、天正7年(1579年)に病死。
子の武藤助十郎が跡を継いだという。

この武藤弥平兵衛は武藤舜秀の事で、天正2年(1574年)越前守護代となっていた、前波吉継が一揆によって討たれ、混乱状態となっていた越前に羽柴秀吉と共に、派遣された人物である。
出自は、よく分かっておらず、この馬寄城に居たとも云われるが、若狭国の武藤氏一族とも云われ詳らかではない。

天正3年(1575年)越前国北之庄城に柴田勝家が封ぜられると、越前国敦賀郡を与えられた。
天正5年(1577年)には雑賀攻め、更に加賀攻め、天正6年(1578年)播磨国神吉城攻め、天正7年(1579年)摂津国有岡城攻めに従軍するなど重用されていたが、有岡城攻めの在陣中に病死した。
舜秀の跡は、武藤助十郎康秀が継いだ。康秀の動向は定かではないが、天正10年(1582年)甲斐の武田氏が滅亡した後に甲信へ出陣、小牧・長久手合戦にともなって、佐々成政が加賀の前田利家と戦った際に、前田氏に従って佐々成政軍と戦ったことが知られている。

馬寄城跡の不明で、史跡散歩 愛知の城によれば字「東更屋敷」にある敬應寺付近とし、「愛知県中世城館跡調査報告i(尾張地区)」では字「中屋敷」一帯を推定地としている。
この辺りには、他に「西更屋敷」「桑屋敷」等の字名が残っている。

2021年02月15日 【城郭道】たっきー


馬寄城は武藤弥平兵衛の居城で1575年に越前敦賀へ移った時に廃城となった。その後、1579年に弥平兵衛が死去。継いだ助十郎は1600年の関ヶ原の戦いで西軍として参戦し、岐阜城水の手口を守ったと言われている。

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