坪内城
坪内城([野府城 周辺城郭])
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坪内城の口コミ情報
2024年04月19日 尾張守たまきち
坪内又五郎の居城。観音寺北側へ少し歩いた個人宅が城跡で、北側が石垣で田地より高くなっていました。地名は中屋敷で、周辺には西屋敷・北屋敷・東屋敷の地名もあります。以前は堀があったとのことであり、細い道が曲がりくねっているのが何ともお城っぽい雰囲気で、この道路が堀跡と思われます。
2022年02月24日 前田利家猫耳メイド萌
坪内城の来歴は、先人の方が書かれているので、省略してます。
城跡付近は、道が狭いので近くのショッピングセンター駐車場から、歩いて行きました。観音寺の北側の民家が城跡とされるが、遺構は残っていないですが、西屋敷、中屋敷、東屋敷などの地名が残っている。ここの区画だけ、道路が不自然なのは堀を埋めて道にしたのかと邪推してしまう。写真の生垣側が、城跡とされる民家。
2020年08月21日 【城郭道】たっきー
指定区域 なし
遺構 なし
住所 開明字中屋敷
築城年 不明
築城者 富樫氏
城主 富樫氏 坪内氏
現状 特に整備等はなし
アクセス 名鉄尾西線開明駅から徒歩10分
野府城より西南の観音寺付近にあったとされています。
坪内城の始まりは古く、勧進帳で名高い安宅の関守で有名な富樫左衛門尉の子孫・富樫左衛門頼定が尾張にやってきたのが始まりといわれています。
その後富樫氏はこの地で勢力を広げ犬山城主・織田信康に仕えます。この時に野府城の城代を務めていた坪内又五郎の家を継いで坪内氏を名乗る様になりました。
坪内利定の時に秀吉と衝突し家康に仕える様になり、江戸時代は旗本になりました。
ところで同じ一宮市内にある宮後城は、ここと同じ坪内一族のお城といわれています。
城跡は道が折れ曲がったりしているのでもしかしたら城の名残かもしれません。
野府城リア攻めをした際は是非、一緒にリア攻めしてみてください。