石碑・説明板
石碑・説明板([野府城 碑・説明板])
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石碑・説明板の口コミ情報
2023年01月05日 前田利家猫耳メイド萌
野府城跡は、現在の一宮市開明字城堀、杁西郭、杁東郭、雲閑寺郭地内にあり、そのほぼ中央部で東西約300㍍、南北約200㍍である。
野府城跡は、戦国時代の城跡で、織田信治などの居城であった。信治は、織田信秀の五男、信長の弟である。元亀元年(1570)姉川の戦のころ、信治は近江坂本周辺(滋賀県大津市)を守備していたが、浅井・朝倉連合軍の攻撃を受けて、九月十九日 宇佐山城で討死した。二十六歳だったという。
信治没後は、江戸時代後期の天保年間(1830~1844)に編集された尾張藩の地誌『尾張誌』に、武藤掃部助雄政(武藤掃部)が、野府の城跡に住み、尾張藩初代 徳川義直に仕えたが、断絶したという。武藤家の断絶は掃部の孫の代であった。天保十二年(1841)の野府村絵図にも「城屋敷」として城跡が記されている。
現在は、一部が一宮市立開明小学校の敷地となっている。
一宮市教育委員会
説明板より。
城址碑は、以前は運動場の北東側辺りにありましたが、いつの間にか校門近くに移設されていました。(40年程前の記憶で曖昧ですが…。)