久間山砦
久間山砦([長篠城 周辺城郭])
長篠城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「久間山砦」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
久間山砦の口コミ情報
2026年06月15日 ᴿᴱᴰ副将軍
長篠の戦いにおいて武田勝頼が築いた五砦のひとつ
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
久間山砦(ひさまやまとりで)と読みます
1575年、長篠の戦いにおいて武田勝頼により築かれた陣城のひとつ。
武田勝頼は長篠城を取り囲み、鳶ヶ巣山を中心に姥ヶ懷砦、君ヶ臥床砦、鳶ヶ巣山砦、中山砦、久間山砦の5ヵ所の砦を築き、久間山砦には和気善兵衛・大戸直光・倉賀野秀景、原胤成、野州浪人組ら300騎が布陣しました。
織田信長と徳川家康の連合軍が援軍として到着すると、武田勝頼は設楽ヶ原へと戦場を移します。 両軍合わせて5万を超える兵が対峙し膠着していたところを、徳川家康の重臣である酒井忠次の別働隊が背後から奇襲をかけて鳶ヶ巣山砦を落とします。
久間山砦には、奥平貞能と戸田重光が攻め寄せましたが要害に阻まれて苦戦。しかし他の砦を落した隊が増援して火を放ったので和気善兵衛は火中に投じて自害したとされます。
残りの大戸直光・倉賀野秀景・原胤成の諸将も追撃を受け討ち取られたとされます。
これにより長篠城の包囲網が崩れ、酒井忠次らは長篠城の籠城兵と合流。さらに設楽原の武田勝頼軍の背後を狙います。
設楽原の武田勢は挟み撃ちを恐れ、織田信長・徳川家康連合軍が築いた馬防柵に向けて攻撃を開始。
武田勝頼軍は馬防柵と鉄砲隊を前に苦戦し、10時間の激闘の末に退却を余儀なくされました。
見所
中山砦から南へ300mに位置し武田勝頼が築いた五砦の中で最も南にあります。
標高150mの丘陵先端部に削平地が広がります。
「久間山砦跡碑」の石碑があります。
行き方は、西側の県道69号沿いから舗装された細い坂道を登ります。途中で廃屋があるのでその脇を登っていくと辿り着きます。見落とすくらい小さな案内(写真⑤)があるので足元を注意して登る必要があります。
比高は約80mです。
2026年01月29日 灰になったしんちゃん
〘所在地〙愛知県新城市乗本字川添
武田勝頼が長篠城を攻める際に築いた五砦の一つで、中川砦と共に徳川家康が長篠城を奪還する際に築いた砦を利用しています。
和田善兵衛・大戸直光・倉賀野秀景・原胤成・野州浪人組300騎らが籠ったとされています。
5月21日明方に奥平貞能・戸田重光らの攻撃を受け、要害を生かして持ち堪えるも敵方の増援が火を放ち和田善兵衛は火中に身を投じて自害し、他の諸将らも討取られ落城したとのこと。
(「愛知の城」参照)
特に案内板等は無く、道沿いに坂を登って行って建物の脇から取り付きました。建物の隅に小さな標柱が有ります。
豊川に向いた丘陵の先端部に扁平地がある程度の簡素なもので、あくまで長篠城を落とすことに特化した砦であったと推測します。
自分が攻められると弱いみたいですね・・
切岸は急で北側下方から仰ぎ見るとその急峻さがよく分かります。主郭らしき場所には城址碑があリました。









