姥ヶ懐砦

姥ヶ懐砦([長篠城  周辺城郭])

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姥ヶ懐砦の口コミ情報

2025年11月06日 ᴿᴱᴰ副将軍


長篠の戦いにおいて武田勢の三枝兄弟が布陣した砦跡⚔

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

1575年、長篠の戦いにおいて武田勝頼により築かれた陣城のひとつ。
武田勝頼は長篠城を取り囲み、鳶ヶ巣山を中心に姥ヶ懷砦、君ヶ臥床砦、鳶ヶ巣山砦、中山砦、久間山砦の5ヵ所の砦を築き、姥ヶ懐砦には三枝守友・三枝守義の兄弟ら350騎が布陣しました。
織田信長と徳川家康の連合軍が援軍として到着すると、武田勝頼は設楽ヶ原へと戦場を移します。 両軍合わせて5万を超える兵が対峙し膠着していたところを、徳川家康の重臣である酒井忠次の別働隊が背後から奇襲をかけて鳶ヶ巣山砦を落とします。
姥ヶ懐砦の三枝守友・三枝守義の兄弟も浪人衆を率いて奮戦するも討死し、姥ヶ懐砦も落とされます。
これにより長篠城の包囲網が崩れ、酒井忠次らは長篠城の籠城兵と合流。さらに設楽原の武田勝頼軍の背後を狙います。 設楽原の武田勢は挟み撃ちを恐れ、織田信長・徳川家康連合軍が築いた馬防柵に向けて攻撃を開始。武田勝頼軍は馬防柵と鉄砲隊を前に苦戦し、10時間の激闘の末に退却を余儀なくされました。

見所
長篠城から東へ約800mに位置し、鳶ヶ巣山砦から北へ伸びる標高150mの丘陵先端部に築かれています。
現在は丘陵頂部は茶畑となり遺構は消失。
茶畑の中腹には削平がありますが後世のものか判別はできませんでした。
東側麓には三枝兄弟の墓が残っています。

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