医王寺城
医王寺城([長篠城 周辺城郭])
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医王寺城の口コミ情報
2026年02月06日 灰になったしんちゃん
先日の投稿の続きになります。
医王寺山勝頼本陣を取巻く尾根の北西部は単独で西側に伸びていて、先端部は二段構造になっていてそれぞれに石積らしき物があリました。
ただし、いつの時代の物かははっきりしていません。浅野文庫の諸国古城之図には描かれていない部分になりますが、本陣の周囲の尾根にも武田方の兵が配されていた可能性は有ると思います。
尾根の西端の先は急な切岸になっていて攻めるのは困難でしょう。
そこから来た道を返して、東に移動しました。医王寺本陣の北側を守っている部分まで来ると、そこには土塁のような物があったように思います。
そこからは勝頼本陣の方向にも尾根道が続いているようでしたが、その先は確認せず、まずは東の標高172mのピークを目指しました。
ピークの部分には確かに物見台の雰囲気はありました。ここからならより遠くの敵軍の動きを察知出来ると思います。
ピークの周囲にも複数の扁平地が有り、これまでの尾根全体で数千の兵を駐屯させることが出来ると思います。
そこから北側に続く尾根は脱出ルートに使えそうですが、訪問はしていません。
周囲の尾根の郭を全て見たわけではありませんが、ここまででも数時間を要しています。
[写真1]北西の尾根の西端の急坂
[写真2]西端を固める石積のような物
[写真3]二段目の石積のような物
[写真4]北尾根の谷
[写真5]医王寺本陣の北側の扁平地
[写真6]北東のピークに続く尾根 土塁らしき物が付いている
[写真7]北尾根から勝頼本陣の方向へ伸びる尾根
[写真8]標高172mの最高所 物見台の雰囲気が有る
2026年02月05日 灰になったしんちゃん
武田勝頼本陣の有る丘陵を取り巻く尾根を巡ってみました。天神山陣所の北尾根から登って行きます。
土塁の内側に扁平地が付いたような地形が続きますが土塁は西側についています。勝頼本陣を守るような構造になっていますね。
尾根が細くなってくると段差が無くなって来ます。
尾根自体が塁の役割をしていると思いますが、下から見るとかなり急峻に見えるはずです。
尾根を北に進んでいくと東西に尾根が伸びる分岐に当たります。西尾根は独立して伸びていて、攻め手を単独で防ぐ構造です。
東尾根は本陣の北側を守るように伸びていますがまずは西から訪問しました。
医王寺城で登録がされていますが、私には医王寺山城といったほうがしっくり来ます。
構造的には荒々しく城としては完成していませんが、簡易的な山城といっても差し支えないのかもしれません。
西尾根は扁平地が続き、その先は二段構造になっています。尾根の先はかなり急峻で二段構造の鼻先には石積のようなものがあリました。
弱い隅部を強化するための物だと思いますが、いつの時代のものかは不明です。
これらも陣所の守りの為のものであれば実に興味深いですね。この時代の武田の城郭で石垣を用いている城は無かった気がします。
まだ全体の一部に過ぎませんが、医王寺周辺の構造から推察すると、武田勝頼は長篠城を攻め落とした後に、ここに三河侵攻のための拠点を築くつもりだったのではないかと思います。
少数の奥平勢だけでも、これだけ攻めあぐねるのだから、長篠城と医王寺山周辺の丘陵を併せて要塞化し武田の精鋭が守れば、織田信長の大軍といえど容易には落とすことはできないと思います。
豊川と宇連川に守られたこの場所は理想的な戦略拠点となり、比較的安全な甲斐への退路も確保できると思います。
逆にここを織田・徳川に奪われると敵に甲斐への侵攻ルートを与えることになるのではないでしょうか。
2026年02月05日 灰になったしんちゃん
〘所在地〙愛知県新城市長篠碁石地内
〘別名〙医王寺武田勝頼本陣跡
医王寺の武田勝頼本陣は天正3年(1575)に武田勝頼が長篠城を攻める際に築いたとされています。
医王寺の北側の丘陵(標高120m、比高30m)に築かれており浅野文庫の「諸国古城之図」にも記載が有ります。
物見櫓の再現された郭を主郭として、東西に郭が配され主郭西には堀切が設けてあります。
東側は谷になっていますが私には土橋の架かった堀切に見えます。おそらく元からあった地形を上手く活用して短期間に陣地を構築しているのではないでしょうか。
この時点ではまだ武田四天王も健在なので誰が陣地構築の指揮を取ったのか興味が有りますね。
おそらくこの先の三河侵攻を見据えての長期的な展開も視野に入っていたと思います。
天神山陣所の投稿でも書いたのですが、医王寺の周囲の地形は実に特殊だと思います。
医王寺の開山は克補契嶷(こくほかいぎょく)という高僧とされていますが、事実上の開山は琴室契音(きつしつかいおん)になるようです。
克補契嶷の弟子という説も有るようですが、実際は謎の多い人物です。
菅沼氏の一族なのか、それとも周辺の大大名の使いなのか? 妄想だけで🍚が進みます🥢
医王寺自身も城郭的な構造をしていて、長篠城とセットで考えれば実に強力な防御力を持っていると思います。
2021年09月22日 ᴿᴱᴰ副将軍
長篠の戦いにおいて武田勝頼が本陣を構えた陣城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1575年の長篠の戦いの際に武田勝頼が医王寺の裏山に本陣を置く。
1万5千の大群で長篠城を包囲したとされる。
標高約120mで、約600mの南方に位置する長篠城を見下ろし、長篠城包囲における武田軍の各陣を展望することができた✨
見所
東西に三つの曲輪が連なり、土塁囲みと鋭い切岸で固め、西側は堀切で防御線を張る。
コンパクトな陣城といえ、本格的な縄張りを譜勢してあります。
2020年09月19日 JC駿河守VD
史跡名は医王寺山武田勝頼本陣跡です。陣城ですがある程度の普請はなされており、医王寺山砦とも称されるようです。ここではサンライズ社『愛知の山城ベスト50を歩く』にしたがって、医王寺城としてスポット登録させていただきました。









