畔田城

畔田城([高縄城  周辺城郭])

高縄城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「畔田城」の地図・口コミがご覧頂けます。

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畔田城の口コミ情報

2026年01月17日 火の玉しんちゃん


[所在地] 愛知県豊橋市城下町

豊橋の太平洋側の台地は侵食され崖状になっておりその下に砂浜が広がっています。

畔田城の主郭はその断崖に向かって築かれているので登城口は北側についています。堀道を主郭に向かって進んで行くと、東西に土塁を備えた郭らしき扁平地が複数有り、土橋を備えた堀切の先に二郭とされる狭い郭が有ります。その先に大きな堀切があり木橋が架かっています。主郭堀切の東側の幅は非常に広く、二郭東端からはスロープが堀底まで続いています。この辺りが少し不自然に思われ、後世に改変を受けたのではないかと思いました。

主郭北側には二つの祠が有り、背後に土塁が残っています。主郭の南側にも腰郭が有り堀切も有りましたが、先が崖になっているかもしれないのでそれ以上は進まずに主郭へ戻ることにしました。

比較的急な切岸なので地面を掴むように登って行きます。こうすると重心が前に傾くので自分の体重で後ろに引っ張られることはありません・・最近運動不足で体重が増加傾向なんですよ。

帰りは主郭堀切に降りてからスロープを登って二郭に登ってみました。ここは戦争の際に連絡路として追加されたんだろうか?

いずれにしても二郭は狭く、戦国時代では馬出しの様な使い方をされたのではないでしょうか。そうであれば大規模な堀切を二つ備えた主郭の守りに特化した城と考えられます。平時の生活の場は三郭とされる場所以北となりますか?🤔

2026年01月17日 火の玉しんちゃん


[所在地] 愛知県豊橋市城下町

畔田城は豊橋南部に勢力を誇った畔田氏の城とされています。戸田宗光が文明7年(1475)に高縄城を築き豊橋に進出して来ると、畔田氏は戸田氏に従いました。

その後 田原戸田氏は今川家の人質・松平竹千代(後の徳川家康)を奪い織田に引き渡したことで今川義元の怒りを買い攻め滅ぼされますが、その時は畔田氏は今川氏に従っています。

桶狭間の戦いの後、今川氏は勢力を急激に失墜、永禄7年(1564)には徳川家康によって三河から追われ、畔田氏も遠江に落ち延び没落してしまったようです。

畔田城は豊橋では最も遺構の残っている城の一つで、土塁や大規模な堀切などを見ることが出来ます。ただし、太平洋戦争時に遺構の改変が行われたとされ、私は二郭周辺でそれが行われたのではないかと思いました。

太平洋からの攻め手に対しても有効な立地条件にある城で、訪問する度にいろいろと考えさせられてくれます。

2022年06月20日 左近衛中将かめかめ


海を背に存在していた畔田城。近くに公民館がありますので車はそちらへ停めさせて頂きました。登城口はマップを参考に行けば問題ありません。

遺構は、土塁、堀切など現存しており、楽しめる城郭です。

写真1:最初にお目にかかれる横堀(堀切?)。
写真2:横堀の終点は崖。
写真3:切り通し。ワクワクしてきます。
写真4:食い違い虎口を形成する土塁。
写真5:主郭側の堀切。海からの登城路のよう。
写真6:主郭側堀切の東側堀底に土塁あり。
写真7:主郭下の横堀。

2020年07月22日 大隅守


近くの城下老人憩いの家に車を停めます
そこの玄関口に縄張り図と年表が書いてあります。
遺構は良子に残ってます。

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