大滝城
大滝城([山中城 周辺城郭])
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大滝城の口コミ情報
2025年08月17日 征夷大将軍たろす
すでに登録されてる周辺城郭を散策しているうちに、GoogleMapさんで大滝城跡てのを見つけたので、とりあえず現地に行ってみました。
最近あえて周辺城郭を散策してるのですが、遠征や近場でも1日かけて城巡りができない時のちょい城巡りと、もう一つは現地もろくに見ずに無闇やたらに登録されてると思わしき(写真もコメントもない)城郭も少なくなく、それを確かめるためでもあります。
実際に訪れると住宅街で案内板とか何もなく、「こんなん登録すんなよな」てのも少なくありません。
大滝城もそんな感じですがね…w
結果、現地では案内板などは見つかりませんでしたが、ネットでググってみると幾つか大滝城に関する記事とか見られましたので、それらも引用させていただきます。
【所在地】
愛知県豊川市長沢町金山
【歴史】
文安年間(1444〜1449年)頃、関口刑部少輔満興が長沢一帯を領し、標高84mの丘陵裾に築き居城したとされるが定かではない。
城主に戸田弾正政光の名もある。
永禄2年(1560年)「桶狭間の戦い」で今川義元が討たれて後、永禄3年(1561年)松平元康勢の攻撃で焼失し、今川勢の関口氏緑も討死した。
関口氏は駿河守護今川氏の初期段階での庶流で三河国宝飯郡長沢村関口を発祥とし、初代経国より6代教兼までは三河国宝飯郡関口庄を分国治領地とした。地名の関口は長沢村西端を関屋といい、そこを通る古道の入り口に関所を置いたことに因むという。現在も登屋ケ根城などの居城祉が残り、山麓の長寛寺には関口氏代々の五輪塔がある。
関口氏の当主は、代々、刑部大輔に補され、5代満興は従五位下越後守に叙任した。『足利武鑑』には、一詰衆大名今川関口刑部大輔とあり、足利一門の大名として記されている。嘉吉2年(1442年)、今川氏の名代として室町殿に参府、以来伊豆守氏教の代まで室町幕府御家人の地位にあった。
ただし、関口氏にも刑部大輔家と刑部少輔家があるようでなかなか理解が追いつきません…
満興の子教兼、その子政興は今川氏親に仕え、明広年中駿府の守りにつき、府中城の外城花沢持舟城を筑城し、同城に在住した。政興は天文17年(1550年)、今川、織田合戦の時三州小豆坂において戦傷、その傷がもとで同年9月大滝城にて死亡した。その子氏緑は永禄3年(1560年)、桶狭間の合戦において戦死した。
【遺構】
現在の立信寺南から名鉄名古屋本線が通っている辺りが城域とされ、立信寺眼下には曲輪らしい段差がみられるが、近年の開墾だろう…すなわち遺構は消失していると考える。
【所感】
とまあ、結論遺構は無いのでわざわざ現地に赴く必要もないかなとは思うが、まだ住宅街でないだけ想像はしやすいのかと思う次第w
さらに言えば…安易に周辺城郭として追加登録するのではなく、現地を見て、ネット情報くらいは調べた上で登録しましょう!
の一例としてとらえていただければ幸いですwww