大沼城
大沼城([日近城 周辺城郭])
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大沼城の口コミ情報
2021年01月13日 陸奥守たろす
【大沼城】~その2~
愛知県豊田市大沼町八沢の山城
【遺構】~その2~
◆曲輪Ⅰ北側堀切には土橋があるがこれは後世の破壊道であるとされる。
興味深いのはこの⑤土橋から突き出るパイプ!
古書「諸国古城之図」には城域後方の谷間から堀切の北側付近に水路(樋)が描かれており、このパイプをたどっていくと谷川を分流させ城方面に引き込む溝状施設があると言う。これが「諸国古城之図」の水路を踏襲している可能性が高いとのこと。
同様の導水遺構は鎌羽城等でも認められる。
(※「愛知の山城ベスト50を歩く」引用)
◆堀切土橋を渡り尾根の右側を登ると曲輪Ⅷに至る(②曲輪Ⅷ虎口)
◆曲輪Ⅷからさらに曲輪Ⅶを抜け最高地の曲輪Ⅴに至る(⑦曲輪Ⅶから曲輪Ⅴを望む)
◆⑧曲輪Ⅴが西曲輪群の中心であり、現在は「お犬さま」と呼ばれるお社が建つ
◆またお社の裏手には小規模であるが⑥土塁が残る
◆曲輪Ⅴ北には北側尾根続きを切る①堀切がある
◆曲輪Ⅴ南には曲輪Ⅵがありそのまま南東に道なりに下ると麓(下山郵便局付近)に降りられる。(③曲輪Ⅴ南虎口)
こちらの道は麓から「お犬さま」への参道も兼ねているので近年にも手を加えられていた可能性はある。
◆城域南の集落内には現在は畑や荒地になっているが古書では屋敷があったとされる。
【所要時間・感想】
◆麓の洞樹院から登城→西曲輪群→東曲輪群→下山郵便局付近に下山→屋敷跡→洞樹院とぐるり回って45分程
◆さほど登山もないのですが、山城エキスを気軽に堪能できるお城でした♪
【アクセス】
◆車の場合はGoogleマップにて「大沼城跡」か「洞樹院」を設定してください。
◆洞樹院に④駐車場があり、登城口・案内板も目の前です
◆洞樹院は築城主とされる木村氏が建立、木村・松平氏の菩提寺ですのでお参りしてから登城すると良いかと♪
※写真は左上から①~④、下左から⑤~⑧となります。文中の丸番号とあわせてご覧下さいませm(._.)m
2021年01月12日 陸奥守たろす
【大沼城】~その1~
愛知県豊田市大沼町八沢の山城
【概要】
◆文明年間(戦国時代初期)に木村安信により築城。足助の真弓山城(足助城)や田代城などと共に足助七城に数えられる。
◆天正3年二代信元の代に甲斐武田の攻撃を受け落城し信元も討死。
その後、信元の養子である松平近清(大給松平乗正の二男)が城主となるも、天正18年近清の子近正は徳川家康の関東移封に従い上州三の倉に移り、廃城になったと考えられる。
◆諸史料からは大沼城は大給城の支城であったと考えられ、築城主の木村氏も大給松平氏の家老として城代を努めていた可能性もあるとか…
◆『愛知の山城ベスト50を歩く』『現地案内板』より引用
【遺構~その1~】
◆大沼城は標高430mの山上に位置し堀切を挟み西曲輪群と東曲輪群から構成される。ここでは西曲輪群を紹介します。
◆麓の洞樹院から④看板に従い登城すると5分程で曲輪Ⅳに達し①小規模な段曲輪を左に眺めながら登ると曲輪Ⅲに至る
◆②曲輪Ⅲは南北に広い曲輪だが冬でも見事に枯草が残る
◆曲輪Ⅲの北には曲輪Ⅰの高い切岸を仰ぎ見ることができ、直ぐに曲輪Ⅰへの⑤登城路が現れるが個人的には現代の破壊道と考えます。(理由はこの後に)
◆ここは登城路を登らず曲輪Ⅰ切岸を右手に見ながら帯曲輪である曲輪Ⅱに進んでください。すると突き当たりに1m程の⑥土塁が現れ、これが曲輪Ⅰに繋がる登城路も兼ねていたと考えます。
この経路であれば敵の侵入に対し曲輪Ⅰから狙い撃ち放題♪
◆⑦曲輪Ⅰは三角形で周囲を4mの⑧切岸で囲む。
遺構の状況から城の中心はこちらの西曲輪群であり、曲輪Ⅰが主郭と考えられる。
◆曲輪Ⅰの北に東曲輪群とを隔てる③堀切。
やはり堀切は画になりますね~♪
どんなに小さなお城でも堀切一つあれば元が取れた気分になります(笑)
東曲輪群は~その2~で紹介します。
※写真は左上から①~④、下左から⑤~⑧となります。
文中の丸番号とあわせてご覧下さいませm(._.)m