常滑城
常滑城([大野城 周辺城郭])
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常滑城の口コミ情報
2025年01月22日 尾張守たまきち
水野監物忠綱による築城。水野忠綱は緒川城主水野氏の一族で、常滑水野氏の祖となり、大和守、監物守次と三代の居城となった。
天正10年(1582年)水野守次は本能寺の変で明智光秀に与して常滑城を退去。その後は織田信雄の家老星崎城主岡部重孝の持城となった。天正12年(1584年)岡部重孝が織田信雄によって殺されると天野五右衛門が常滑城に入ったが、三河国刈谷城主水野忠重の攻撃を受けて落城した。
現地は、伊勢湾が望める高台に、城跡碑と解説板がありました。
2024年05月29日 池田紀伊守信輝
常滑城は緒川城主・水野氏の一族である水野監物忠綱によって築かれた城です。忠綱からはじまる常滑水野氏はその後、大和守忠清、監物守次とつづき三代にわたる居城となりました。1582年(天正10年)に水野守次は明智光秀に味方したため城を退去し、その後は織田信雄の家老である星崎城主・岡部重孝に与えられましたが、羽柴秀吉の謀略で重孝が信雄によって殺害されると、刈谷城主・水野忠重も攻められ落城しました。その後は徳川家康の家臣である高木広正が城主となりましたが、家康の関東移封に従ったため廃城となりました。現在城址は宅地化のため遺構はありませんが、城主・水野氏三代の遺徳を偲んで建立されたという正法寺の前の公園に城址碑と案内板が建てられています。