河和城
河和城([富貴城 周辺城郭])
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河和城の口コミ情報
2026年09月13日 尾張守たまきち
知多半島南東部にある河和城(こうわじょう)は、長禄年間(1457~1459)に渥美半島田原城主:戸田宗光が三河湾制海権を確立するため、知多半島東岸に進出する最初の拠点として河和に築いた城。
その後戸田氏は知多半島を北上し岩田氏支配地である富貴に進出し、富貴城、布土城を攻略して勢力を拡大。富貴城を新たな拠点として、知多北部からの侵攻に備えるため城郭の修復と充実を図った。
ところが緒川城主:水野信元は、織田氏を後ろ盾として知多半島南下を始め、富貴城主:戸田法雲が将兵ともども討死し、富貴城も落城となった。
知多半島東部における勢力が著しく後退した河和戸田氏は、水野信元と講和して河和とその周辺の支配を温存を図り、城主:戸田守光は信元の娘を嫁に迎え河和水野氏として再出発した。
現在城址には土塁や空堀などの遺構が良好に保存されており、主郭は山頂の南端にあって広大で北と西に土塁が残り、東と南は切岸となっている。 北の土塁はやや幅広で西端に櫓台が残っており、主郭の北下には幅広の横堀が巡り、東側は傾斜して回り込んでいる。この横堀は主郭の西側に続き、主郭の西の虎口付近に至る。さらに北下には堀底の通路があり北東へ延びている。
現地を訪問したところ、大切に保存されている様子が分かりましたが、季節柄草で覆われ判然としませんでした。見所とされる土塁や切岸、広大な横堀などは、冬枯れの時期に再登城して確認したいと思います。
2020年05月09日 OROKA中務卿
河和城は戸田氏の一族が築いた城のようです。
公園のようになっていますが、そこまで整備されていません。東側に駐車スペースがあったと思いますが、城のためかは分かりません。そこから階段を1分ほど登ると一気に主郭へ到達します。
主郭は畑?空き地?のようになっていてあまり遺構らしいものはありませんが、西側にゴリッと主格の半分くらいを囲う深くて明瞭な空堀があります。この空堀は見る価値があります。ハッキリ言って、尾張国ではトップクラスの空堀だと勝手な私見を述べておきます。
知多半島にフグやタコを食べに来られた際には、ぜひぜひ河和城へもお立ち寄りください。









