太清寺
太清寺([上条城 寺社・史跡])
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太清寺の口コミ情報
2026年05月18日 猫耳尾張守メイド萌
太清寺の歴史
龍源山 太清寺は、その昔『醍醐山 龍源寺』といいました。その草創がいつ頃かは不明ですが、山号から推して山城国 醍醐寺との深い関わりを持ち、勝川一帯が醍醐寺の荘園地であったことや、醍醐塚といった古い地名が残されていたことなどから、千年を超える歴史が寺には流れているといってよいでしょう。
天正十二年(1584)四月、徳川家康が小牧山より長久手に軍勢を率いて向う途中、当地で小休し、「勝川(かちがわ)」の名を吉慶と喜び、阿弥陀堂で必勝祈願をして出陣し、勝利を収めました。
承応二年(1653)焼失したままになっていた阿弥陀堂が再建され、灰じんの余木をもって彫刻された阿弥陀如来像が安置されました。
慶安四年(1651)薬師如来の御開帳を村中あげて行い、ここに諸堂を併せて復興して寺号を龍源山 太清寺と改め、臨済宗妙心寺派の末寺となりました。
明治二十四年(1891)の濃尾大地震で倒壊した薬師堂は大正十年(1911)に再建され、御開帳は三十三年毎に行なわれています。
本堂および阿弥陀堂は天保八年(1837)の台風で大破しましたが、本堂は嘉永三年(1850)に再建、阿弥陀堂は明治五年(1872)に再建された後、昭和五十四年(1979)に区画整理の移転により、現在の十三王堂となっております。
〈旧東春日井郡役所〉
太清寺の庫裡は、東春日井郡の発足に伴い、郡役所として明治十三年二月に建立した。初代郡長に林金兵衛が就任し、太清寺の周囲には警察署、郵便局、裁判所がおかれて、勝川村は行政の中心地となった。
明治十三年六月には、明治天皇が京都御巡幸の折に、下街道を行幸して勝川村を通った。太清寺庫裡の鬼瓦には、江戸から明治へと時代の変遷を象徴するように、菊の御紋がついている。
〈春日井事件と林 金兵衛〉
春日井事件とは、地租改正時に地価の査定をめぐって、愛知県春日井郡(現 春日井市を含む)の東部西部間で決定手続き粗密があり、それに対する不公平感から生じた争いである。愛知県第三大区長であった林金兵衛(文政八年(1825)生まれ)は、農民代表として役人の官僚主義と激高する農民の間で尽力した。交渉が難航したため、明治八年(1878)に地元四十三ヵ村代表として上京する。地租改正事務局(当時の事務局総長は大隈重信)に地価査定見直しを幾度も嘆願した際に、伝手を頼って福澤諭吉に助力を求めた。
福澤は幅広い人脈を通じて懇切に援助した。春日井事件は、旧尾張藩主 徳川慶勝の下賜金と県当局の地価改訂の約束をもって妥協が成立し、明治十二年二月に決着した。その後、林は東春日井郡長に就任。福澤立案のもと、事件で疲弊した村を再建するため『倹約示談』を作成し、倹約の方法や意義について諭した。
説明板(二ヶ所)より。
小牧・長久手の戦い─ゆかりの地をめぐる─
〜森長可の進軍〜スタンプラリーにより訪問。









