稲生原古戦場
稲生原古戦場([小田井城 寺社・史跡])
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稲生原古戦場の口コミ情報
2025年03月02日 尾張守たまきち
織田信長VS織田信行(柴田勝家・林秀貞)の合戦地。
弘治二年(1556)8月、織田信行は信長の宿老で那古野城代の林秀貞と柴田勝家を味方に引きいれ信長打倒の兵を挙げた。これに対して信長は、庄内川南岸の名塚村に砦を急造して信行勢の襲来に備えた。砦には佐久間盛重を守将として配した。
柴田勝家が末森城から出撃し、林通具が那古野城から出撃。信長は清州城を出陣して名塚砦に入って、この稲生原古戦場にて開戦。信長は足軽隊に三間半(約6.3m)の長槍を持たせ、森可成の奮戦もあり、信行軍を撃退した。
事態の収拾に動いたのは末森城に居住する、信長と信行の生母である土田御前。
土田御前は織田信行と柴田勝家を連れて清州城に赴いて御礼、林秀貞も許してこれまで通り家老とするように願い出た。信長は「稲生の事は雨水の如く流れ去り申した」とすべてを許した。