朝日遺跡
朝日遺跡([清洲城 周辺城郭])
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朝日遺跡の口コミ情報
2024年10月06日 前田利家猫耳メイド萌
朝日遺跡は、弥生時代前期から古墳時代前期(紀元前六世紀〜紀元後四世紀頃)まで営まれた、全国でも有数の大規模集落です。この地方の生活・文化の中心として栄え、東西日本の弥生文化をつなぐ重要な役割を担っていました。これまでの調査によって、遺跡の範囲は東西1.4㎞、南北0.8㎞に及び、遺跡の面積は80〜100万㎡と推定されています。北東から南西にかけて流れる谷の南北の微高地に住居が営まれていました。居住域を取り囲むように、墓域がつくられました。特に東側と西側に大規模な墓域が広がっていました。
発掘調査では、環濠・逆茂木・乱杭からなる強固な防御施設が発見されたことをはじめ、埋納された銅鐸、玉作りの工房跡、最古のヤナ遺構など重要な発見が相次ぎました。
北側の村と南側の村の対立により、逆茂木や乱杭が作られたと考えられているが、北側の村の南側の斜面にしか無く、焼損などの争いの痕跡が見られない事から、水害対策として逆茂木や乱杭が作られたのではないかとも考えられています。
諸説ありますが、尾張国には邪馬台国の敵対国家の狗奴国があったとも考えられているので、北側の村を主郭として強固な防御施設が築かれだろうか?謎の多い時代なので、妄想が捗ります?
2022年06月19日 【城郭道】たっきー
朝日遺跡、愛知県清須市。
弥生時代前期から古墳時代前期(紀元前6世紀〜紀元後4世紀頃)までに営まれた全国有数の規模を誇る集落であり、東海地方最大の弥生集落です。
1970年代に道路建設に伴う大規模な発掘調査が始まりました。それまでそれぞれの遺跡が点在して存在したものと考えられてきましたが、まとまりのある一つの遺跡であるということが明らかになり、この辺りを『朝日遺跡』と呼称するように統一されました。範囲は南北0.8キロ、東西1.4キロで面積は80〜100万平方メートルと推定されています。
居住地を取り囲むように墓域がつくられ、特に東側と西側に大規模な墓域が広がっていました。
発掘調査では環濠、逆茂木、乱杭など後世のお城に通ずるような防御施設も発見されています。
2012年9月6日に朝日遺跡の主要な出土品2028点が国の重要文化財に指定されました。詳細をいうと、『土器・土製品』が727点。『木器・木製品』が253点。『石器・石製品』が650点。『ガラス小玉』が121点。『金属製品』が37点。『骨角牙貝製品』が240点です。東海地方を代表する弥生時代の大規模集落の出土品一括として、全国的にも貴重な資料となっています。
現在、遺跡には二つの資料館があります。また、復元された竪穴住居、高床倉庫、堀などもあります。
非常に見応えがある遺跡です。清洲城からも近く、駐車場もあるのでぜひ行ってみてください。