正覚寺
正覚寺([清洲城 寺社・史跡])
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正覚寺の口コミ情報
2022年02月07日 前田利家猫耳メイド萌
大雄山 正覚寺(浄土宗)
関ヶ原の戦いの功で、清洲城主となった松平忠吉(徳川家康四男)が、亡母西郷局(後に宝台院という)の菩提寺として、前任地の忍(埼玉県行田市)にあった、大雄山 正覚寺を慶長八年(1603)に、ここ清須外町に移したのが当寺の始まり。
美濃路に面したこの寺では、忠吉ゆかりの宝物のほか、忠吉母子の供養塔である宝篋印塔、仏足石、桶狭間の戦いで倒れた、今川義元に関わる今川塚供養碑、須ヶ口一里塚にあった道標など、多くの歴史に出会うことが出来る。
説明板より抜粋。
今川塚供養碑
永禄三年(1560)の桶狭間の戦いで、今川義元を討ち取りました。『信長公記』によると、清洲城外の須ヶ口に義元塚(今川塚)を築いて、丁寧に弔ったとさています。
その後、寛文元年(1661)に正覚寺六代三誉上人と念仏講同行十四名の名前が刻まれた生前供養のための石碑を建立しました。
これが、今川塚供養碑と言い伝えられています。
美濃路沿いの須ヶ口の山内伊之彦氏所有地に建てられていたものを、平成十九年(2007)現在地に移設しました。
説明板より抜粋。
駐車場有り。
2019年08月10日 左近衛大将さとー
清洲城主 松平忠吉の母の菩提寺