先聖寺
先聖寺([犬山城 寺社・史跡])
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先聖寺の口コミ情報
2024年05月26日 前田利家猫耳メイド萌
先聖寺沿革
當寺は禅宗黄檗宗(本山宇治の萬福寺開山隠元大和尚)の末寺である。
延宝四丙辰年(1676年)名古屋竹屋町より浄土真宗 泉正寺という潰寺の号譲り受け、開山上州黒龍山不動寺 潮音道海大和尚とし、開基はその弟子 玉堂大和尚〈没元禄七甲戌年(1694年)〉を請け熊野山先聖寺と称した。(現在の熊野町熊野権現之社東)
玉堂大和尚は博学大徳で城下はもとより近隣より参禅する者多く、町医鈴木玄察、内藤丈草など巨なる者あり蕉門四哲(其角、嵐雪、去来、丈草)の一人、丈草は玉堂大和尚より多大の影響を受け出家までした。
その時の歌に
「身をかくす 浮世の外は なけれども
のがれしものは 心なりけり」があり、
句碑(昭和二十八年建立)木曽川辺りにて
「ながれ木や 篝火の空の 不如帰」がある。
正徳五乙未年(1715年)来鳳和尚が現在の外町天神庵に移転し、神護山先聖寺に改め、諸堂を西向きに造立した。
享保十三戌申年(1728年)より密傅和尚が大施餓鬼を始め、仏殿を東向きにし、大門口を町並へ替え現在の門是なり。
昭和三十四年(1959年)の伊勢湾台風にて仏殿、鐘楼、門等を倒壊した。
平成十六年二月、儒教、道教、仏教の三教一致の根拠地となるべく、黄檗風二層平屋建の本堂の建設に至った。
「三級浪高魚化龍」より登り口、柱、天井(黄光琳画)と三段の龍を配し、屋根には摩伽羅をのせているのが特徴である。
説明板より。
2022.12.09撮影