故中川清蔵主之碑(榎塚)
故中川清蔵主之碑(榎塚)([犬山城 碑・説明板])
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故中川清蔵主之碑(榎塚)の口コミ情報
2023年12月31日 前田利家猫耳メイド萌
榎塚と中川清蔵主(なかがわせいぞうす)の碑
清蔵主は、内田瑞泉寺塔頭龍泉院の第三世住職で犬山城主 中川勘右衛門定成の伯父に当たる。
天正十二年(1584)、小牧長久手の合戦のころ、豊臣方の武将で前犬山城主の池田勝入斎信輝が、手兵を率いて大垣城を出て、三月十四日の払暁、折からの大雨で河水の大きな音を幸いに、木曽川を渡って犬山城を急襲した。そのとき、城主 定成は伊勢国 峯城へ出陣中で、留守を依頼された龍泉院住職 清蔵主は城中の僕婢まで総勢わずか二十余名とともに敢然と防戦、激戦の末に西谷坂口で戦死し、犬山城は池田軍の手に落ちた。
墓所は龍泉院、戒名は前住當院浄臺清座元禅師。
戦死の地に、榎一株を植えた。これを榎塚という。
榎塚は、現在は切り株のみとなっている。
説明板より。(説明板の写真は諸般の事情により割愛、下部にQRコードが貼り付けられている。)
現在は、榎塚の裏手に、西谷曲輪に下りる階段がありますが、榎塚周辺には西谷門と呼ばれる高麗門があり、そこから西谷曲輪に下りる道があったという。