徳授寺

徳授寺([犬山城  寺社・史跡])

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徳授寺の口コミ情報

2022年12月10日 前田利家猫耳メイド萌


徳授寺沿革
徳授寺は、臨済宗妙心寺派に属する。室町時代中期に桃隠玄朔(日峰宗舜の高弟)が草庵を結んだ所といわれる。桃隠には法嗣がなく、寛正二年(1461)に示寂したため、廃寺となった。
後に、妙心寺紫衣再興を果たした柏庭宗松(景川宗隆の法嗣・妙心寺第十九世)が、文明八年(1476)その旧跡に一寺を建立して、了義山 徳授院と名付けたのに始まる。柏庭は、寺の近くにあった木ノ下城主 織田氏の一族といわれ、三河に三玄寺、東濃に全雄寺も建立している。大永七年(1527)五月五日に示寂した。
徳授寺は、柏庭門派の中心寺院として栄え、塔頭八ヶ庵(乾徳・玉清・泰月・臨清・自済・龍雲・祥雲・慶雲)があり、明治まで龍雲庵・慶雲庵が存続したものの、祥雲寺だけが現存している。
小牧・長久手の合戦に楽田・青塚の陣営に寺の建物が運ばれて、一時荒廃したが、間もなく可児市帷子の常楽寺を移して伽藍を復興した。さらには、名古屋・総見寺の北禅禅秀の高弟である台巌全鼎も再興に尽力し、現在に至る。世に赤門寺と呼び語られる門は遺構の一つである。
ご本尊は東濃・大円寺山門に安置されていた、楠正成の念持仏である湛慶作・聖観世音菩薩を移して安置した(現在は秘仏)。
境内には、村瀬太乙(文人)、兼松所助(犬山焼)、長足庵甫磨(犬山視聞図会の著者)の墓がある。
説明板より。

小牧・長久手の戦いの時に移築された建物は、戦後どうなったのだろうか?

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