木ノ下城
木ノ下城([犬山城 周辺城郭])
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木ノ下城の口コミ情報
2026年09月28日 ᴿᴱᴰ副将軍㊉
犬山城の前身である織田氏一族の城跡🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
1469年に織田広近により築かれたと云われます。 織田広近は尾張守護代である織田郷広の子であり、当主となった兄の織田敏広の命で斎藤氏に備えるために木之下城を築いて小口城から移りました。
織田広近の嫡男である織田寛広は、織田敏広の養子となり、守護代である織田伊勢守家の家督を継いで尾張上四郡を領しています。
岩倉織田氏と斎藤氏は協力関係となると、織田広近は小口城に居城を戻した様で、木之下城は小口城の支城として機能した様です。
1537年、織田信康は木曽川南岸の三光寺山に犬山城を築いて居城を移した際に木之下城は廃城となったとされます。
1564年に織田信長が犬山城の織田信清を攻める際には、木ノ下城跡に陣を布いて犬山城攻めの拠点としたという伝承があります。
見所
犬山城から南方へ1kmに位置し、現在の愛宕神社一帯が城跡とされ、本殿が建つ高台が主殿跡と云われます。
南北200m、東西200m程度の方形で、南に二郭、三郭と連なり、東側と北側に堀があったとされます。
愛宕神社の金明水の井戸は木之下城時代に掘られたものと考えられています。
2022年12月09日 猫耳尾張守メイド隊
木ノ下城は室町時代の文明元年(1469)に築かれ、織田広近が最初に入城したといわれる。以後、約七十年間代々織田氏が居城した。
天文六年(1537)織田信康(織田信長の叔父)が城を木曽川南岸の地に移した(犬山城)ので、この城は廃城となった。愛宕神社本殿の建つ高台には、城の主殿があり、城郭は南に構えられたと思われる。
境内にある古井戸は、金明水と呼ばれ神社の西南、約100㍍の大榎の下にある、銀明水と呼ばれる井戸とともに、当時の木ノ下城に掘られたものであろう。また、白巌水と彫られた手洗石が置かれているが、白巌とは織田信康の号名である。
愛宕神社は慶長十一年(1606)鍛冶屋町の銘鍛冶兼常が、当時の犬山城主 小笠原吉次に願い出て、旧城地のこの場所に天台宗の愛宕山 長命寺延命院を建立し、将軍地蔵を祀ったのがはじまりである。
その後、前原新田入鹿山 白雲寺の良陣らが住僧となって代々続いたが、明治初年の神仏分離政策により寺は廃され神社として残り現在に至った。
説明板より。
愛宕神社境内に石碑と説明板があり写真を撮って、木ノ下城伝承館・堀部邸に行くと『木之下城』の文化遺産カードが入手できます。
2019年04月23日 野呂利左衛門督休三
犬山城の前身の木ノ下城があったとされる場所です。社殿のある辺りが主殿があったと見られており、城郭としては南に向かって展開していたと見られています。
写真手前の金明水の井戸は城の井戸と伝えられています。なおこの神社のすぐ北側を外堀が通っていたそうです。裏手の凹みはもしかしたら?









