説明板

説明板([宮後城  碑・説明板])

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説明板の口コミ情報

2022年03月01日 前田利家猫耳メイド萌


宮後城跡
江南市前野町の旧家に伝わる、戦国時代の伝承記録「武功夜話」には、十六世紀の中頃、この宮後には、蜂須賀小六の住んだ屋敷があり、その規模は南北約150㍍、東西約120㍍にも及んでいたということが、記されています。また、天正十二年(1584)の小牧・長久手の戦いについて書かれた古文書にも、豊臣方の砦として「宮後砦」という記述のあるものがいくつかあり、宮後城の存在自体は確実とさていましたが、正確な位置など詳細については、これまでほとんど判っていませんでした。
しかし、このほど郷土史研究家が地籍図(明治時代の地図)上に「城跡道」という文字を発見し、それを手がかりに城跡とみられる、地割を割り出しました。
そして、その後、航空写真を判読・現地踏査等の調査を実施した結果、この場所が河岸段丘(川の流れ等によって階段状になった地形)を利用した典型的な中世の城館跡であることが判明したのです。
現在のところ、城の範囲は図のようなものと推定されています、内郭と外郭に分かれていたとみられ、その中心は、ちょうどこの場所にあたります。館(尾張の中世城館は城というより館に近い)の周りには、堀と土塁をめぐらして防御を固めていたと考えられ、土塁については、現在も一部その痕跡が残っています。一辺100㍍という規模は、この時代としてはかなり大きなものですが、これは小牧・長久手の戦いの際に、以前からあった屋敷を秀吉が戦争用に改修した為と、考えられます。
宮後城は、小牧・長久手の戦いの終結後に、講和条件の一つとして破却されたという記録があり、現在地上にはその痕跡がほとんど残っていませんが、戦国末期の城の造営や改修の方法を考える上で非常に貴重な資料であると言えるでしょう。
江南市教育委員会
説明板より

説明板にある土塁の痕跡は何処に有るのだろうか?、宮後八幡社にある石塁のことだろうか?
東側に流れている川は、堀として利用されたのかな?

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