曼陀羅寺
曼陀羅寺([宮後城 寺社・史跡])
宮後城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:寺社・史跡)、「曼陀羅寺」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
曼陀羅寺の口コミ情報
2025年07月22日 猫耳感謝感激雨霰萌え
日輪山 曼陀羅寺 由緒
日輪山曼陀羅寺は、鎌倉末期の正中元年(1324)、後醍醐天皇の勅願(天皇の命令)により、天皇の叔父にあたる天真乗運上人によって、天皇親政の大願成就と国家の繁栄、万民の安穏を願って創建された。創建後、間もなく幾多の歴史の荒波に出会いながらも、戦国期には改めて、後奈良天皇から勅願寺の綸旨を受け、織田信長からは禁制を付与され、また豊臣秀吉からは、二百四石の寺領を認められた。更に、江戸期に至っては、尾張徳川家により二百三十一石の寺領を認められるなど、歴代の保護を受けるとともに地域住民の信仰を集め、七百年の伝統を紡いできた。
現在は、弥陀三尊を本尊とした西山浄土宗の中心的な檀林寺院である。
地蔵堂 (県指定文化財)
桁行 三間、梁間 三間、 寄棟造 桧皮葺
この堂宇は、もとの曼陀羅堂で、現在の曼陀羅堂の位置にありました。
当寺、最古の建造物です。寛文八年(1668)に修復されたものですが、創立から四百年以上経過していると推定されます。
現在は、後醍醐天皇の御母檀天門院のご念持仏の地蔵菩薩が本尊として祀られ、天皇の安産を願って宮中に祀られた霊像であると伝えられています。
曼陀羅堂 (市指定文化財)
桁行 五間、梁間 四間半、入母屋造本瓦葺、前面に一間の向拝がつき、四周に縁、高欄をめぐらしています。
内部は、外陣、中陣、内陣に分かれ、内陣の中央の須弥壇には、曼陀羅を入れる厨子が置かれ、両脇間には位牌類が納めてあります。
弘化年間(1844〜1848)の建立です。時代の新しい堂としては、よく整っています。
この曼陀羅堂が建立されたので、これまでの曼陀羅堂は、地蔵堂として中門近くへ移築されました。
曼陀羅寺正堂 (国重要文化財)
桁行 五間、梁間 五間、向拝 一間
入母屋造 桧皮葺
正堂は、本寺の中核をなすもので、本尊の弥陀三尊を安置しています。寛永九年(1632)阿波国守 蜂須賀家政が幼時、本誓院に学んだ縁により寄進したものです。
古式にのっとり本堂を修旧したもので、南北朝前期の紫宸殿を再現したものです。
江戸時代初期の構造や手法を伝えています。
江南市教育委員会 (説明板 三枚より)
正堂の裏手にある書院は、慶長五年の関ヶ原の戦いの前哨戦、徳川方の武将、池田輝政らが、戦会議を開いた所で、その後、輝政らは河田の渡しを越えて岐阜城を攻めたとされます。
曼陀羅寺近くに、犬山城から移築されたと伝わる櫓が残る民家があります。