石碑『小牧山』と説明板
石碑『小牧山』と説明板([小牧山城 碑・説明板])
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石碑『小牧山』と説明板の口コミ情報
2022年01月29日 前田利家猫耳メイド萌
江戸時代初期に描かれた、春日井郡小牧村古城絵図によれば、この辺りの小牧山の南東符もは二重の土塁の間に堀が配置されて、外敵の侵入を防ぐようになっていました。
現在右側に見える堤防のような土の盛り上がりが、土塁で堀を掘った土を積み上げたもので、天正十二年(1584)の小牧・長久手の合戦の
時に、徳川家康の軍勢が築いたものです。
正面の低い部分が堀ですが、堀は左側の県道の下まで伸びていて、幅12㍍程だったものと推定しています。堀の底は平坦で、道のようになっていました。内側の土塁との比高は5㍍を超えますが、整備にあたっては、排水の関係上、本来より1㍍程浅くしています。堀は、水を貯めない空堀でした。堀のさらに左側には、内側の土塁よりも低い外側の土塁がありましたが、これは江戸時代のうちに削られなくなりました。
底が平坦で幅の広い堀に外側の土塁があることにより、堀を通路のように使用して多数の軍勢を移動させることが、出来たのではないかとも言われています。
説明板より
史跡公園南口の西側にひっそりと、空堀があります。