蟹清水砦
蟹清水砦([小牧山城 周辺城郭])
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蟹清水砦の口コミ情報
2026年10月24日 猫耳尾張守メイド隊
蟹清水砦跡
蟹清水砦は、織田信長による小牧山への築城(小牧越し)の際には、信長の武将 丹羽長秀の屋敷がおかれたと伝えられる。
小牧・長久手の合戦時には、小牧山に陣を敷いた織田信雄・徳川家康連合軍が、この砦を修復し、北外山砦、哥津(うたず)砦とを結んで小牧山右翼の連砦を成して秀吉方の陣地に対抗し、交番で守備した。
砦の規模は、東西 四十六間、南北 六十一間と伝えられ、昭和二十年代頃までは堀跡、土塁跡なども残っていた。
砦は、江戸時代には小牧御殿の庭園の一角になっていて、清水が湧き、蟹がいたのでしょう、蟹清水と呼ばれていた。その後の開発によって周辺は宅地化され、現在は砦跡を示すものや清水は残っていない。
小牧市教育委員会
説明板より。
過去の写真をサルベージ。隣接地の小牧御殿と同時期に訪問。
2025年06月21日 尾張守たまきち
この地を支配していた岩倉織田家の一族織田与四郎の居城とされる。1563年織田信長が清洲から小牧山へ移った際、丹羽長秀が屋敷を置いた。1584年「小牧・長久手の戦い」では織田信雄+徳川連合軍の砦として改修されて利用。
戦後、江崎善左衛門の屋敷の一部となり、小牧御殿と呼ばれた。
現地を訪問しましたが、住宅地に変わっており、遺構はありませんでした。昭和20年代までは堀跡・土塁跡なども残っていたそうですが、城跡碑や解説板があるのみでした。
2021年01月30日 【城郭道】たっきー
【信長時代】
小牧越しで丹羽長秀の居城であったと伝わる。
【家康時代】
織田、徳川連合軍が修復し、交番で守備。
【江戸時代】
小牧御殿の庭園の一角。
【現在】
砦の規模は東西46間、南北61間と伝わる。砦跡は土塁跡、堀跡等が昭和20年代まで残存していたが開発で消滅。石碑と説明板が建つ。









