大手道
大手道([小牧山城 遺構・復元物])
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大手道の口コミ情報
2023年12月02日 前田利家猫耳メイド萌
ここは、小牧山城の表口(大手口)です。現在は東側から階段を上って城の中に入って行きますが、本来はこの階段はなく、南側から城の中に入っていました。ここから入って城の中心である山の頂上まで行く道が大手道で、江戸時代に描かれた『春日井郡小牧村古城絵図』には赤線で書かれており、現在もほぼ同じところを通っています。
大手道は、ここから150mぐらい真っ直ぐに上り、そこで右に曲がって70mぐらい真っ直ぐ進むと途中からヘビのようにクネクネと曲がった道になり、山の頂上へ続きます。ふつうは、城の道は敵が入りにくいように折れ曲がった道にしますが、真っ直ぐな大手道は小牧山城の特徴で、大手道の両側に曲輪(平らな場所)が階段のように段々と並んでいることと共に、天正四年(1576)に織田信長が造った安土城(現在の滋賀県近江八幡市)と同じです。
織田信長が小牧山城を造った時から、江戸時代までの大手口近くの大手道の変化は、次のとおりです。
【永禄六~十年(1563〜67)織田信長が小牧山城にいた時】
大手口から山の途中まで、真っ直ぐな大手道と道の両側に曲輪が造られる。
【天正十二年(1584)小牧・長久手の合戦の時】
織田信雄と徳川家康が小牧山城に来て、山のまわりに新しく二重の土塁(土を積み上げて造ったかべ)と堀(地面を掘って造った大きな溝)を造る。大手口周辺では、土塁を互い違いにして大手道を曲げる(図1)。
【江戸時代初め『春日井郡小牧村古城絵図』が描かれた頃】
大手口の土塁を壊して、曲がっていた大手道を真っ直ぐに戻す(図2)。
説明板より。
この説明板の西側の土塁は、往時のものだろうか?