浅井氏邸址・浅井長政像

浅井氏邸址・浅井長政像([小牧山城  碑・説明板])

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浅井氏邸址・浅井長政像の口コミ情報

2025年06月28日 尾張守たまきち


小牧山城下のこの地に住んだ、浅井長政の子孫が建てた銅像。

浅井長政が小谷城で自害した後、側室八重の方は息子:七郎を連れて美濃へ落ち延びた。そして、七郎が20歳になった時にこの場所に移り住んだ、とあります。その後もこの地に子孫が住み続けますが、先述の息子から数えて九代目の方が1913年に現在の神奈川県藤沢市に転居。その後、1982年に子孫の方が先祖の霊を慰めて後世に残すべく、この地(浅井家屋敷跡)に銅像を建てた。

浅井長政に側室がいた事も、浅井三姉妹の異母兄弟がいた事も、ここを訪れるまで知りませんでした。側室八重の方も、何故、織田家の支配下にある美濃や小牧山城下で生き長らえる事が出来たのか、とても不思議です。何か縁があったのでしょうか。

2025年01月26日 猫耳感謝感激雨霰萌え


江州(滋賀県)小谷城主 浅井長政公(二十六万五千石)は朝倉義景との盟約により、織田信長との戦いで、天正元年(1573)八月二十八日これに敗れ二十九才で自害して公の側室 八重の方は七郎君を連れ美濃(岐阜県)に遁れた。
文禄元年(1592)七郎君 二十才のとき此の地に移り慶安三年(1650)に没した。
爾来子孫此地に居住。九代 新七は大正二年(1913)故あって神奈川県藤沢市に転居し今日に至る。
元屋敷1,447坪 
(石碑表面より一部抜粋。)

浅井家々系
長政─七郎─七藏─弥藏─新四郎─常右門─新左ェ門─新四郎─新左ェ門─新七─十代嗣─武雄

浅井長政公逝って三百九十年
代々の祖先の霊を慰め末永く後世に此の地を残すため旧宅地に公の像を建立整備する。
(石碑裏面より一部抜粋。)

文禄元年(1592)頃は、信雄改易後…!?
この辺りに、何かしら縁があったのだろうか?

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