堀尾吉晴公、金助とその母供養塔(桂林寺)
堀尾吉晴公、金助とその母供養塔(桂林寺)([小折城 寺社・史跡])
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堀尾吉晴公、金助とその母供養塔(桂林寺)の口コミ情報
2023年06月10日 前田利家猫耳メイド萌
桂林寺由緒沿革
天正十八年(1590)北条氏の小田原城は落城する。この小田原攻めに、丹羽郡御供所出身の堀尾金助も参加したが、陣中で病気になり18歳で没しました。金助の父、茂助はその菩提の為に、京都妙心寺に俊厳院を建立し、金助の13回忌には、老母はその冥福を祈って、東海道筋の精進川に架かる、裁断橋の架替えをしました。
この堀尾氏の屋敷跡に桂林寺はあります。寺伝によれば、文明十六年(1484)桂林租香が開山し、ご本尊に聖観世音を泰安して長楽寺と称しました。その後、永禄十二年(1569)兵火の為に堂塔を焼失し、正保年間(1624〜43)に僧龍嶽が現在地に再建して、大香山 桂林寺と改称しました。
本堂は2層の堂々たる建物で、寺伝に寛政七年(1795)の大般若経六百巻、元禄十一年(1624)の梵鐘があります。また、境内には堀尾吉晴公、金助とその母の供養塔があります。
山門両側にある袖壁(築地塀)は、五本線の筋塀(定規筋)となっており、格式高い寺院を示します。