富士塚

富士塚([小折城  碑・説明板])

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富士塚の口コミ情報

2022年02月23日 前田利家猫耳メイド萌


富士塚(お亀塚)
富士塚は、五世紀末(490年頃)の前方後円墳と言われています。
今までは、古墳は発掘された事はありませんが、畑地化された前方形地帯からは、古墳時代の埴輪や須恵器・土師器など出土しています。
天正十二年(1584)の小牧・長久手の戦いで、東軍の将・徳川家康が、生駒屋敷(小折城)を訪れた時、織田信雄と富士塚に登って、西軍・豊臣秀吉の陣形を見渡した場所です。この時、家康は小牧山の先取りを決意したと伝えられています。
のち、この地に生駒家六代の利勝が「天地は生之本也。先祖は類之本也。孝子慈孫其本を知らざる可からざるなり。尾張の国士、生駒主計利勝、其祖の為に、碑を小折村富士塚に建つ……」という書き出しで、初代家広からの由緒と、武功を後の世に伝えるため、天和二年(1682)朱子学者 林羅山の孫 信篤に碑詞を頼み、六角の石碑に刻み、亀型の台石の上に建てました。別名お亀塚とも言われ、市の指定文化財になっています。
江南市教育委員会

古墳の上に登ることが出来ます、周囲は住宅地になっていますが、家康、信雄が登って見た景色を想像すると良いと思います。

2019年04月23日 てつ&あゆ宮内卿


5世紀末の前方後円墳。

小牧・長久手の戦いで、徳川家康が生駒家を訪れた際、織田信雄とこの塚に登って、豊臣秀吉方の陣形を見渡した場所。ここで家康は小牧山の先取りを決意したと言われている。

生駒家6代利勝が、生駒家の由緒と武功を後の世に伝えるために、林羅山の孫の碑詩とともに六角の石碑を建立した。亀型の台座をしており、お亀塚とも呼ばれています。

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