北方代官所
北方代官所([黒田城 寺社・史跡])
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北方代官所の口コミ情報
2021年09月19日 前田利家猫耳メイド萌
道路沿いに、案内板があり前から気になっていたので、行ってみました。石碑と説明板が二枚、陣屋の見取り図ありました。
木曽川にかかる東海道線の鉄橋、東西の堤防付近にわたって、江戸時代には北方代官所と川並奉行所がありました。
尾張藩主により天明元年(1781)に北方代官所が設置され、その管轄は尾張・美濃の両国に跨がっていました。北方代官所は、付属学問所や道場・矢場(鉄砲部屋)などをもち、現在でも鉄砲部屋・西木戸などの地名が残っています。
2021年03月07日 【城郭道】たっきー
一宮市北方町にあった北方代官所。堤防の先には木曽川、金華山がよく見えるところにあります。少々わかりにくいところですが、ひっそりと存在感を出しています。
江戸時代、郡奉行を廃止し、全て代官としました。この代官所は約170の村。87000石超えに相当する尾張、美濃の地を治めました。担当したのは100〜150石の武士。1871年廃止。
現在、石碑、説明板等がたちます。
ちなみに付近の代官所だと小牧代官所(蟹清水砦跡)があります。
2020年10月14日 とんかつおやじND
天明元年(1781)この地に置かれた北方代官所(陣屋)は、木曽川沿いの葉栗、丹羽、中島の三郡、美濃の大納、池田、本巣ほか九郡に及ぶ広い地域を管轄していた。
明治四年(1871)代官所は廃止される。
北方の池は木曽川の運材を管理するに好適で、万治二年(1659)以来、川並奉行所が設けられていた。
百〜百五十石の武士が任命された。代官所は御陣屋とよばれ、北方代官所は、尾張・美濃の百七十か村、総高八万七千百九十三石余りの広大な地域を支配した。名を残した代官に畑繁神社の祭神となった酒井七左衛門や牛刀舎を設立した深沢新平がいる。
この番所に「木曽川徒渡りの者、切り捨てにす事」の額を掲げていた。
最後の画像は付近にある石碑
明治天皇が御休息された場所