光明寺城
光明寺城([黒田城 周辺城郭])
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光明寺城の口コミ情報
2026年04月25日 尾張守たまきち
織田信長の家臣である神戸伯耆守によって、尾張最北端の位置に美濃攻略の拠点として築城。
1569年(永禄12年)に伯耆守が伊勢の大河内城攻めで討死すると、信長の馬廻をつとめた山田半兵衛が城主となる。
現地を訪問しましたが、城址周辺は住宅地となっており遺構は残っていません。北西に少し歩いたところに城址碑が建てられていました。
なお城下の光明寺は、松平元康が松平家康と改名した場所と伝わる。
桶狭間の戦いの後、織田信長と松平元康は同盟を清洲城で締結。この後織田信長は松平元康と共に馬で光明寺城へ向かい、この城から稲葉山城を見ながら、美濃攻略の重要性を語り、三河方面の抑えを松平元康に託した。
また、光明寺の僧侶∶青井意足は「八幡太郎源義家の軍法」を伝える人物であり、平家一族の織田信長は、同盟締結の礼として、源氏の出である松平元康に青井意足を紹介した。
松平元康は数日間光明寺に滞在し、青井意足より「八幡太郎源義家の軍法」を授かる。この軍法を継ぐ者は名前に「義」か「家」のいずれか一字も継ぐ事になっており、今川氏から独立して三河の盟主となっていた松平元康は、今川義元からもらった「元」の字を返上し「家」に変え、徳川家康を名乗るようになったという。
2020年09月13日 村国三成 無期限休止
織田信長に光明寺の住職を紹介され軍法をさずかった松平元康は「家康」に改名。
徳川家康誕生の地であるらしいです。
詳細はWikipediaなどを・・・。









