天神の渡し跡
天神の渡し跡([苅安賀城 寺社・史跡])
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天神の渡し跡の口コミ情報
2021年07月11日 前田利家猫耳メイド萌
天神の渡し跡 (萩原宿方面)
今の日光川が木曽川の本流であった頃、安土桃山時代から江戸時代へと移る頃の美濃路の渡し跡。
当天神社と対岸にある(旧尾西市)天神神社との間にあったとされる。
この渡しの辺りは、萩原川とも云った。天正十四年(1586年)の大洪水以降、主要流路が現在のように起の方に移り、萩原川は川幅も狭まって板橋となり、渡しも起側に移った。この間の経緯は、起宿本陣 加藤家文書中の天正十九年と推定される豊臣秀吉四奉行からの「萩原船頭給継目証文」等によって知られよう。江戸時代終わり頃の「名区小景」には、萩原川に架かる板橋が見える。
織田信長が初めて、斎藤道三と冨田・聖徳寺で会見した帰り、道三がこの渡しまで見送ったとも伝えられる。江戸時代には、東海道と中山道とを結ぶ脇往還として、美濃路は繁栄し、萩原宿や起宿も賑わいを見せた。徳川家康が関ヶ原の戦いから凱旋して通ったので、御吉例街道とも云われる。
一宮市教育委員会
石碑碑文より