福寿院
福寿院([一宮城 寺社・史跡])
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福寿院の口コミ情報
2026年05月04日 猫耳尾張守メイド萌
開基は聖武天皇 神亀年間(724〜728)で行基菩薩の創建によるもので、地蔵寺の客寺としてあった。
後嵯峨天皇ね時代、弘仁年中(810〜823)に弘法大師が真澄田神社に参篭の折、七堂伽藍に僧舎六坊を設けるなど、近隣に多くの信徒をもったが、弘仁二年(811)暴風のため多宝塔を残して、その全てが倒壊し、一時は衰退を極めたが、文永十年(1273)中興の開山といわれる、空円上人は痛くその衰微を嘆き、百万手をつくして堂宇と僧舎の再建をはかり、これを復興するに至った。以来、空円上人の徳望は広く諸人の帰依を集め、尚、真澄田神社の別当職を司った。
嘉吉年間(1441〜1444)に於ける当寺の境内は、東西二町、南北三町余あり、境内は古く南大門があって実に厳然たるものであったが、天正年間(1573〜1592)に信長の命を受けた秀吉が、岐阜攻めにあたり当寺に本陣を構えたが、多宝塔を除く外一切の建物が焼き払われたという。
慶長八年(1603)当寺の十一代住職僧、実慶によって漸く堂宇が建立されたものの僅かに形態を保つのみだった。
多宝塔は、高さ二丈七尺、九尺四面の、屋根桧皮葺二重の塔であった。
明治四十三年(1910)八月二十九日付で、特別保護建造物(旧国宝)に指定されたが、昭和八年(1933)一月三十日、失火により半焼して、国宝指定が解除された。
昭和二十年(1945)七月二十八日、一宮大空襲により、本堂等の建物を焼失した。
空襲により焼失した為、現在の建物(本堂兼庫裡?)は鉄筋コンクリート造となっている。
外観写真、忘れた…。









