即得寺

即得寺([一宮城  寺社・史跡])

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即得寺の口コミ情報

2026年05月03日 猫耳尾張守メイド萌


真宗大谷派 宮法山 即得寺
文治年間(1185〜89)伊勢国、熊野権現に奉仕していたという、鈴木三郎繁家は、かつては源義経に仕えた豪の者であった。
義経が兄 頼朝の不興を蒙り、僅かの郎党を従えて奥州に落ちたが、その中に繁家も従っていた。繁家の妻子はその跡を追って、東に下ったがその途中、地名を誤って、尾張国羽黒郡に足を留めた。消息ね絶たれた繁家をたずねて奥州にまで下ることは、足弱の女子供には不可能なことだった。
風のたよりには、義経も繁家も藤原一族の手に依って討たれたと知り、遂にこの地を離れ得ず永住の地と定めたのである。以後、繁家の菩提を弔いつゝあったが、明徳年間(1390〜1393)にいたり、その裔孫、観智のとき、この一宮に来り、九品寺の東北の地にあって、天台宗の一宇を建立、阿弥陀如来を本尊として、宮法山 長福寺と称した。ときに応永元年(1394)であった。
応永十九年(1412)観智は真宗に改めて、寺号を即得寺と改称した。慶長年中(1596〜1614)七世願誓の時代に現在の地に移ったのである。
本尊 阿弥陀如来の霊験あらたかなため信徒も多く、江戸幕府の初期に許しを得て透塀を建てたという。当時、境内の建物は、本堂、水屋、茶所、鐘楼、透塀、庫裡、書院などがあり、三百有余戸の檀徒があった。
今次の戦災によって一切を失ったが、戦後間もなく再建された。

山門や袖壁、塀の柱等の木製部分が、ピンク色で華やかです。

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