葵公園

葵公園([一宮城  関連施設])

一宮城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:関連施設)、「葵公園」の地図・口コミがご覧頂けます。

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葵公園の口コミ情報

2021年10月31日 【城郭道】たっきー


いつの間にか新しい看板が!知る人ぞ知る太平洋戦争末期に起きた対馬丸の悲劇に関することですね。気になる方は葵公園へ!

2021年09月05日 【城郭道】たっきー


【葵公園の由来】本町二丁目四-五七
関ヶ原の戦いの二日前の慶長五年(一六〇〇)九月十三日、清須を出立した徳川家康は一宮の佐分利五郎兵衛清政宅で小憩し、真清田神社で戦勝を祈願したと伝える。小憩の際、清政弟の新左衛門は屋敷地の藪から竹を伐り旗竿として家康に献上したという。その後の大坂冬の陣(慶長十九年)に際しても、家康は清政宅に立ち寄り、旗竹の献上を受けたという。
昭和十四年発行の『一宮市史』には、佐分利氏邸跡に家康が鑑賞した(一説には家康が手植えした)という藪椿の巨木があったが、昭和十一年に枯れて伐採されたとある。尾張国の名所を網羅した『尾張名所図会』(後編明治十三年刊行)の挿し絵には、『佐分利氏宅御旗竿藪』と『御殿跡大椿』が描かれており、この地が人々の間でよく知られていたことが窺える。
明治時代に入ると、多くの通称町名が生じ、前掲『一宮市史』には、家康小憩の由緒から『御藪町』・『椿町』・『御朱印地町』が称されたとある。同書によると、旗竹献上の功での御朱印の下賜が『御朱印地町』のいわれだという。また大正九年には『御藪町』と『椿町』が合併し、『葵町』になったという。『葵』は徳川将軍家が用いた三つ葉葵紋に由来するものであろう。その後の町名改正で『葵町』と『御朱印地町』は正式な町名になったが昭和四十八年の第二次住居表示事業で両町名は消え、現在の『本町ニ丁目』となった。
この『葵公園』の名称は、新庁舎整備事業に併せて『新柳公園』から新しく生まれ変わったこの地に由来して名付けられた。

説明板より。書くのが大変だった。

2020年08月22日 【城郭道】たっきー


一宮城のすぐそこにある葵公園。ここにはかつて豪族である佐分利氏の屋敷がありました。関ヶ原の戦いの際、徳川家康は真清田神社で必勝祈願しまし、佐分利氏の屋敷で一泊しました。
その後、大坂冬の陣の際も家康は真清田神社で必勝祈願をしました。

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