尾張國総社 尾張大國霊神社
尾張國総社 尾張大國霊神社([下津城 寺社・史跡])
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尾張國総社 尾張大國霊神社の口コミ情報
2022年01月18日 前田利家猫耳メイド萌
尾張大國霊神社は、崇神天皇 七年に創建されたと伝わる神社で、境内には古代の祭祀場とも云われる磐境が設けられています。
奈良時代に、国衙が開かれ隣接して鎮座していた事から、尾張総社として国の祭事を司り、格式も高く平安時代後期の延喜式神名帳にも、式内社として記載されています。
戦国時代には、織田信長や豊臣秀吉、江戸時代には、尾張 徳川家から崇敬庇護され、社領の寄進や社殿の造営が行われています。
本殿は流造、拝殿は切妻造、全体の様式偉物の配置は尾張式といわれるもので、本殿・渡殿・祭文殿・東西の廻廊・拝殿・楼門と建ち並んでいます。
拝殿は、徳川初期の建立で特徴として切妻造で、内側に柱が並立しています。また、楼門は足利初期の建立で正保三年(1646)の解体大修理の際、上層を改造されているという。
『信長の逸話として』 尾張大國霊神の祟り
儺追神事(はだか祭)が行われる、尾張大國霊神社(国府宮)は、尾張国の大地の恵みをもたらす偉大な霊力(尾張大國霊神)を祀っています。
信長の時代は、その年の恵方に人を求め、男を捕らえ儺負人(なおいにん・神男)に仕立てた「儺負捕り」ということが行われていました。ある年に、信長の親書を持った使者が捕らえられ、手紙が届かないという事態が起こりました。それに腹を立てた信長は、三年間「儺負捕り」の禁制を出したと伝えられいます。するとその年、尾張に疫病が流行。農作物は不作にあえぎ、飢饉に見舞われたとされています。