西溝口城
西溝口城([蜂須賀城 周辺城郭])
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西溝口城の口コミ情報
2021年05月05日 前田利家猫耳メイド萌
溝口氏は、承久の乱(1221年)の際の戦功を認められ、美濃国山県郡大桑に領地賜り、以後そこに居住したが、逸見勝政が応永年間(1394〜1428年)溝口村に築城して移り、名を溝口氏に改めた。
後に織田氏に仕え、溝口村を支配するようになった。
勝政の長男 定勝は幼少の頃から丹羽長秀に仕え、天正九年(1581年)織田信長に、直臣として取り立てられ若狭国 高浜城5000石を与えられた。
西溝口城には奥田蔵人が入った。
天正十年(1582年)「本能寺の変」
天正十一年(1583年)「賤ヶ岳の戦い」後、加賀国 大聖寺城を与えられた。
天正十三年(1585年)長秀没後、秀吉の家臣となり、秀吉の秀を賜り定勝→秀勝に改名した。
慶長三年(1598年)越後国 新発田城6万石を与えられた。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いでは、東軍に属し、上杉景勝の一揆鎮圧に努め戦後、徳川家康から所領を安堵され、新発田藩初代藩主となった。
溝口城の廃城時期は不明で、城跡は成願寺辺りとされ、規模は、東西約73㍍南北約47㍍の広さがあったとされるが、遺構等は無く、城址碑があるのみ。