山田重忠館

山田重忠館([田幡城  周辺城郭])

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山田重忠館の口コミ情報

2025年07月04日 マグロ常陸介祐平


源満政流の山田重忠の館と伝わります。重忠は、木曾義仲の入京に際して上洛、京中守護の任につくなどし、頼朝が鎌倉幕府を開くと山田庄の地頭となります。承久の乱では、朝廷との繋がりから朝廷方として参戦し、奮闘するも敗北、嵯峨般若寺山で自害しています。皇国史観によるものと思われますが、大正6年に正五位を追贈され、館跡とされる廣福禅寺には、立派な石碑が建っています。鎌倉時代初期の館ということもあり、遺構は残っていません。

廣福禅寺は幼稚園を併設しており、自由に参拝することができません。たまたま、園児の送迎から帰ってきた先生に石碑を見せてほしいと頼んだところ、お寺の方を呼んでいただき、見ることができました。お寺の方曰く、石碑は当寺にあるが移転してきたお寺で、山田氏とは無関係とのことでした。近くにある山田天満宮(金神社)や常光院も江戸時代の創建で山田氏との関わりはなく、500m程東にある長母寺が、重忠開基のお寺のようです。

廣福禅寺の門の脇には「名古屋十名所」の石柱が立ちますが、大正14年に新愛知新聞社(現、中日新聞社)が新聞上で公募した名所で、「山田町元大将之社(現、山田天満宮に合祀された金神社)」が、名古屋城に次ぐ10位となっています。山田重忠の贈位もあり、トレンド入りしたのかもしれません。

2024年04月20日 尾張守たまきち


承久の乱で活躍した山田重忠の館があった。現在は廣福禅寺の敷地内にある山田幼稚園となっており、入口に城館跡の石碑がある。山田重忠は源満政の子孫で、1192(建久3)年に源頼朝によって尾張国山田庄の地頭に任じられた。1221(承久3)年承久の乱では後鳥羽将上皇の命を受け、北条義時の幕府軍を迎え撃ったが、力及ばず敗死。遺構は無い。

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