福島正則公像

福島正則公像([名古屋城  その他])

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福島正則公像の口コミ情報

2022年11月21日 マイ兵庫助リバ【人間豚骨】


この秋、小布施の岩松院に行った際にこの像のことを知り訪問してきました🤔
肥後のせいしょこさん&伊予の沈勇の士さんに遅れること何年かはわかりませんが、何はともあれ、像が建立されてめでたしめでたし😚
なんだかイメージどおりで、「(開削作業を)さぼっとったら、叩っ斬るに!」と言われそうで草🤣

〜以下、現地解説プレートより〜

名古屋発展の礎 福島正則公

福島正則公は永禄4年(1561) に現在の愛知県あま市で大工の息子として生まれた。
若くして豊臣秀吉公に仕え、賤ヶ岳の戦いで手柄 (七本槍の筆頭)をたて、出世の端緒をつかんでい る。
加藤清正公とともに秀吉公の子飼の武将として活躍し、35歳で24万石の清須城主となった。
関ヶ原の合戦では東軍に加わり、40歳で広島などを領有する50万石の大名にまで出世し、慶長15年(1610年) の名古屋城築城の時を同じくして、正則公により堀川が開削された。
しかし、水害に遭った広島城を勝手に修繕したという口実で、元和5年(1619) に4万5千石の高井野藩主 (現: 長野県高山村)に改易され、失意のなか寛永元年(1624) に64歳で亡くなった。
正則公が開削した堀川は、城下への幹線輸送路や身近な憩いの水辺として人々の暮らしを支え、明治になると沿川には多くの工場や製材所ができ、行き来する艀や筏が工業都市名古屋を支えてきた。
このため堀川は「名古屋の母なる川 堀川」と言われている。
しかし、昭和30年代 (1955年~64年) からトラックが普及して静かな水面となり今は都心の貴重な憩いの水辺として親しまれている。

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