宇佐美館

宇佐美館([鎌田城  周辺城郭])

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宇佐美館の口コミ情報

2025年09月27日 マグロ常陸介祐平


工藤祐継の子の祐茂が宇佐美荘を引き継ぎ、宇佐美を名乗ることに始まります。兄は曽我兄弟に仇討ちされた工藤祐経です。源頼朝が挙兵すると、祐茂は従いますが、同時期に平姓の宇佐美氏(和田合戦以降資料に現れない)も従っており、この地には2つの系統の宇佐美氏が存在したようです。鎌倉時代は御家人として祐政・祐泰が検非違使に任じられ、室町時代になると鎌倉公方に従っていたようです。戦国時代に入り15世紀の後半頃に今残る宇佐美城の縄張りが整えられますが、明応2年(1493年)北条早雲が茶々丸を討った際に宇佐美城も落城し、宇佐美定興は討死、宇佐美氏の主力は滅亡しています。お城の存在した期間は僅かだったようです(案内板年表より)。また、上杉謙信の軍師宇佐美定満は、こちらの宇佐美氏の一族とされています。

海岸に面した小高い岡が城址となります。近年まで解放されていたようですが、現在はキャンプ場となり、利用者以外はたち入れません。キャンプ場の入口には、石碑や年表付きの説明板が設置されています(写真1~3枚目)。縄張りは、山頂部を本丸として二の丸、三の丸と三段の構造のようです(写真4枚目は遠景)。また、江戸時代に名主として山裾に屋敷を構えていた杉山氏は、宇佐美氏の子孫との伝承を持ち、屋敷が宇佐美氏の居館で、お城は詰めの城だったようです。

伊豆は石切場が多い場所で、宇佐美の地も石切が行われていました。宇佐美の海岸からは江戸城に使用される石を載せた石船が、行き来したようです(写真5,6枚目)。

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