伊東館
伊東館([鎌田城 周辺城郭])
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伊東館の口コミ情報
2025年09月29日 マグロ常陸介祐平
市長問題で話題の伊東市役所の敷地内の物見塚公園と、市役所北側の佛現寺が伊東氏館の伝承地となります。物見塚公園の石碑には、平安時代末期に藤原南家工藤氏が住みつき、鎌倉時代をへて戦国時代末期まで伊東氏はこの地と関わりがあり、伊東家館跡の伝承地は幾つかあるとしています。
鎌倉時代には、日向に所領を得ますが、伊東の地を本領として居住し続け、室町時代に入り観応の擾乱で直義方に付き、伊東の本領を失ったようです。その後、九州に移らず留まった一族からは南朝方から北朝方に移り、駿河や甲斐に所領を持つなどし、北条早雲に仕えたことから、駿河や甲斐の所領は失いますが、先祖の地伊東に復帰しています。氏政の偏諱を受けた伊東政世は、所領役帳によると小田原や厚木の所領を含め230貫、伊東での所領は市役所付近ではなく、競輪場付近をメインに70貫でした。御馬廻衆の為、小田原に在住していたかもしれません。政世の系統は、江戸時代になると300石の旗本として存続しています。
物見塚公園には石碑の他、伊東祐親の騎馬像などがあり(写真1~4枚目)、それらしさを感じますが、今は見られない塚自体は古墳のようです。公園も佛現寺も同一の台地の縁部にあり(写真5,6枚目)、要害性を感じられる場所ではあります。館から南西に300m程に伊東祐親の墓(写真7枚目)、さらに150m程にある東林寺には祐親の子の河津祐泰とその子曽我兄弟の首塚(写真8枚目)があります。また、音無神社に隣接する最誓寺には、東林寺から移された一族の墓があります。最誓寺から南東に150m程の住宅地も、伊東氏館の候補地となっています。
2022年01月27日 笑門来猫
伊東氏の本拠地の1つで、現在は市役所に隣接した物見塚公園となっています。伊豆に配流された源頼朝を預かった伊東祐親の像があります。









